今年こそは旅に出よう。本当は1年9カ月前に実行するはずだった。綿密に計画を立て、飛行機、ホテル、ツアーの予約をし、支払いすべてを完了していた。それなのにコロナが勃発し、すべてがご破算になった。悔しい。しかし、私だけではなく、誰もがそれぞれコロナの発生には恨みつらみがあることだろう。
身近な友人、知人を見回すと、2年弱の自粛生活は私を含めた高齢者にはダメージが大きかった。外出しない、人と会わず話さない生活が一挙に我々を老化させた。若い人とはここが違う。踏みとどまることができず後退する。その最大の理由は諦めである。こんな長引くならもうリタイヤしていいと。社会と関わる意欲を失うと一挙に老ける。これはもうはっきりしている
これではいけないと思う人もいるだろう。コロナがきっかけで社会と関わらなくなるなら、コロナに負けたということになりはしないか。こんな負け方が嫌なら、面倒でも社会と関わり続けねばなるまい。
旅とは、よくいわれるように日常を離れ、非日常の世界に身を置くこと。そこから自分の日常を見直し、考え、感じ、また新たな目で見慣れた生活を見直す。そこに真実と大切なものが見えてくる。そう考えると、年に一度のクリスマスやお正月の帰省さえ、旅といえるだろう。一年毎に自分の古巣へ帰り、自分がどこから来て、どこまで行ったかを測る。
昨年末にバス旅行をした。偶然目についた日本語新聞に、日系の旅行社が2泊3日のカリフォルニア州モントレー、カーメルのバス旅行者を募っていた。バス旅行なんて、なんてレトロなのだろう。小学生気分で、初対面の日本人の方々と気楽に旅をするのも良い。ふとそう思った。行ってみよう。一瞬のうちに決めた。
ほぼ満員の大型バスは我々四十数名を乗せ、LAからI-5をひたすら北上する。山中を突っ走るこのルートが目的地までの一番の近道らしい。内陸部を走るから、何もない砂漠と山の退屈な風景が続く。でもこの荒涼とした風景こそ、懐かしいアメリカの風景だ。忙しい都会生活で忘れかけていたが、日本では絶対に見られない風景だと四十数年前に感嘆したことを思い出した。これが米国の原風景だ。私の中の原風景だ。荒涼とした中に独特の美しさがある。
やがて広大なピスタチオ平原が現れ、それはバスがどこまで走っても地平線まで一直線に続く。その広大さに目が回りそうだ。平原が一面の緑に変わると、モントレー郊外だ。見渡す限りの緑の平原が、地平線の彼方まで続く。
この平原こそ、オクラホマに見切りをつけた貧しい農民が希望を胸にやって来た地。しかし、望みは再度打ち砕かれ、またしても厳しい試練にさらされる。ジョン・スタインベックの『怒りの葡萄』はこの平原が舞台。同著者の『エデンの東』もこんな土地の人びとの姿が描かれている。スタインベックも『宝島』を書いたロバート・L・スティーブンソンもモントレーに住んでいたそうだ。
モントレー湾はもともとイワシ業で栄え、イワシ工場が連なっていた。郊外の農業、海のイワシ業と栄えたこの町は、一時期、加州の州都でもあった。長い豊かな歴史のある町独特の落ち着きがある。
17-Mile Driveは美しい海岸線を走る。海岸に沿い、ペブル・ビーチの有名ゴルフコースが砂浜の中に点在する。ここが富裕層が住むカーメル。厳しい海風にさらされ、サイプレスの折れ曲がった林があった。この厳しい自然の風景の中に美を見たのが、サム・モースだ。彼がここを初めて見た時は、おそらく海風にあおられ、まるで死体のように朽ち果てたサイプレスが折り重なる墓場や、雑草と砂の荒れた海岸だけだったろう。その風景を彼は美しいと思い、素晴らしい場所に生まれ変われると、自分の目と未来のビジョンを信じた。誰もまだ何も目えない時に自分を信じ、情熱をかけて突っ走った人がいた。たった一人の狂信からすべてが始まり、今の高級リゾート地に結実した。彼の名前が刻まれた石碑の向こう、海に突き出た岩山に1本のサイプレスの木が屹立していた。The lone Cypress。この木がこの町のシンボルだ。
私たちも、米国に来て一から始めた。1本のサイプレスの苗木と同じだ。老体になった今も、海風にさらされながら、岩山にポツンと立つ木。それはこの国で踏ん張る我々の姿そのものだ。がんばれ、サイプレス。がんばれ、私たち。
倒れないよこの木。
この記事が気に入りましたか?
US FrontLineは毎日アメリカの最新情報を日本語でお届けします