物流を制すものはビジネスを制すか?
第14回
- 2018年10月15日
戦後の経済復興と発展
第二次世界大戦後、戦勝国も敗戦国も、国の発展のために産業を復興させる必要があった。とりわけ、ドイツやイタリアとの対戦で大きな犠牲が出た欧州各国のダメージは計り知れない。なかでも欧州の盟主として産業革命をリードし、世界中に植民地を拡大してきたイギリスの国力の低下は否めなかった。自国の再建に注力する必要があり、海外への影響力はおのずと制限されていった。
敗戦国であるドイツ、イタリア、日本も戦後の賠償金を支払うため、否が応でも経済を発展させる必要があった。もともと技術力という点で秀でていたドイツと日本の経済復興は目覚ましく、戦勝国であるイギリスやフランスを凌駕する勢いであった。また、日本の軍事政権下、経済発展を抑えられていたアジア諸国も日本からの解放後、それぞれが経済的な自立を目指し力を蓄えていく。
世界中で経済発展、製造の槌音が聞こえるようになると、当然貨物の動きも大きなうねりとなって先進国に出荷されていくことになる。戦争で自国の海運、船体が壊滅的な打撃を受けた日本とドイツはいち早く海運業を立て直し、貿易、物流を通じて経済発展を後押しするようになった。
特に日本は政府が「海運造船合理化審議会」を立ち上げ、造船、海運に国を上げて取り組んでいくことが決定。それを背景に、日本郵船、三菱汽船、日本産業汽船、日本油槽船、大阪商船、三井船舶、日東商船、大同海運、山下汽船、新日本汽船、川崎汽船など、戦中戦後に設立された海運企業が日本経済を支える重要な役回りを果たすことになる。
また韓国では、1949年に韓国海運、1977年には韓進海運が韓国経済を支える海運企業として設立。台湾では1968年にエバーグリーンが産声を上げた。シンガポールではネプチューン・オリエント・ライン(NOL)が設立され、世界の海運界に分け入ってきた。
欧州でも1973年にCGM、1978年にはCMAが参入。南アフリカでもサーフマリンが1946年に設立され、先進国主導の海運の勢力図を大きく変えていくことになる。
コンテナ船の登場と盟外船活動
そうした新しい海運企業が各国で設立される動きとともに、世界の海運輸送を大きく変える革命的なサービスが開始される。1956年、米国のマルカム・マクリーンの創設によるコンテナ船の登場である。コンテナ船は従来の港湾での荷役を効率化・迅速化する画期的なもので、その後の海運の有り方を大きく変える出来事であった。
一方、戦後も強力な拘束力と結束力を持ち続けるアジア・欧州海運運賃同盟であったが、あまりの強制力に反発する船社も現れた。その代表的な会社が、台湾のエバーグリーンである。彼らは欧州の運賃同盟には加盟せず、徹底して盟外船としての活動を展開。同盟船社の激しい抵抗もあったが、低運賃を武器に徐々に実績を上げ、同盟の牙城を侵食していった。
同盟はそこに加入する荷主が同盟以外の船会社を利用することを厳しく制限しており、それを犯した荷主には罰金などを課すことで拘束力を維持しようとした。しかし、水の流れのように低きに流れる荷主の動きを止めることができず、禁を犯す会社も出てくる。それが、同盟船社によるリベート合戦である。
もともと同盟は、加入する荷主が同盟船社に船積みをした場合、運賃の数%を還元するブッキング・コミッション制度があった。それによって、荷主がほかの会社に変えることを阻止していたのであるが、盟外船社との運賃格差が広がるにつれて、そのパーセンテージが大きくなっていった。
コミッションには二種類あり、一つはC、もう一つはPといわれていた。同盟に加入する船社そのものが同じ同盟船社の顧客を奪うため、独自のコミッションを決めて集荷をすることが増えていったのである。また、盟外に流れた顧客を取り戻すために、コミッションのパーセンテージを大きくして還元する船社も出てきた。
アジアから米国へ配船する北米運賃同盟は、もともとが運賃の透明化および平等化をスローガンに掲げていたことから、あまり大きなコミッションでの競争はなかった。しかし、クローズド・コンファレンスと呼ばれ、密室での運賃設定で結束力を維持してきた欧州同盟では、コミッションという隠れ蓑を使って顧客の荷物を受ける動きが水面下で行われていた。
また、エバーグリーンに加えて、新たに盟外船として最初から営業を開始する船社もでてきた。韓国の韓進海運や、現代商船、イタリアのロイド・トリエスティーノ社などである。
同盟、盟外入り乱れての運賃競争、シェア競争が激化していく。結果的にはそれが引き金となって、世界の海運業界の再編が急速に進んで行くのである。
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