軍事オタクじゃなくても楽しめるミリタリー博物館 Part 1

文&写真/関克久(Text and photo by Katsuhisa Seki)

アメリカの軍事費は年間60兆円以上。日本は4兆円強ですからなんと15倍! ベテランと呼ばれる退役軍人の総数は2000万人以上だそう。軍需産業も全世界の6割以上のシェアを占めているだけあって、退役した戦闘機や軍艦も至る所にある博物館に展示されている。武器といえば物騒だが、機能と性能を徹底的に追及した形にはそれなりの美しさとかっこ良さがあって、ベテランや軍事オタクでなくても楽しめる。とにかく博物館の数が多いので、そのいくつかをご紹介する。

重要資料から絶景ポイントまで楽しめる、ウエストポイント

まずは米国最初、そして最大級の陸軍士官学校・ウエストポイント。マンハッタンからハドソン川沿いに米国でももっとも美しいパークウェイといわれるヘンリーハドソン・パークウェイを80キロほど北に行ったところにある。精神力・頭脳・体力すべてにおいて選び抜かれたエリートしか入学できないこの陸軍士官学校は、第二次世界大戦でヨーロッパの連合軍最高司令官となり、米国第34代大統領にもなったアイゼンハワー将軍、連合軍最高司令官だったマッカーサー元帥を輩出した。そして、ここで見逃せないのは「ウェストポイント・ミュージアム」。

ウェストポイント陸軍士官学校

1945年9月、ミズーリ艦上で当時の外務大臣重光葵と参謀総長の梅津美治郎が署名した連合国への降伏文書(本物はワシントンの公文書館と外務省外交資料館に保管)、山下奉文陸軍大将の日本刀、広島に投下されたFatmanの原寸大の模型、そして長崎原爆のプラグ(起爆ピン)の現物なども展示されている。

ヨーロッパの大聖堂を彷彿させるゴシック調の礼拝堂や、4000人の生徒が一度に食事ができる食堂、そしてハドソン川のパノラマを一望できるトロフィーポイントという絶景ポイントもある。マンハッタンからの1日のプチトリップで出かけてみてはいかがだろうか。

連合国への降伏文書

山下奉文陸軍大将の日本刀

長崎原爆のプラグ(起爆ピン)

戦争の傷跡が残る「イントレピット海上航空宇宙博物館」

マンハッタンには、ハドソン川沿いのウェストサイドハイウェイを走っていると突如として現れる巨大な航空母艦がある。イントレピット海上航空宇宙博物館がそれだ。イントレピットは1943年に建造され、1944年にトラック島で日本軍の魚雷を受け損害を被ったが、その後も同年10月30日にレイテ沖で1回、11月にも2回の特攻機の激突を受けて大きな損害を受けている。1945年には硫黄島の上陸作戦支援、日本本土空襲作戦にも参加。そして、戦艦大和以下の日本海軍第二艦隊への奇襲作戦にも参加した。

イントレピット海上航空宇宙博物館

特攻機の突撃を受けた際の残骸の一部なども展示してある。機関銃の一部で、「九九式一号固定ニ型改一」と書いてあった。

特攻機の突撃を受けた際の残骸の一部

甲板には海軍、空軍、陸軍、海兵隊、コーストガードなどの各種航空機が展示してあるが、やはり人気はトップガンでおなじみのF14トムキャットと最速の偵察機ロッキードA12ブラックバードだ。また甲板から見えるマンハッタンのスカイラインも絵になる。特に夕暮れ時はオレンジ色に輝くマンハッタンとトムキャットを背景にすれば完璧だ。

甲板には海軍、空軍、陸軍、海兵隊、コーストガードなどの各種航空機が展示

キャプテンズ・ブリッジにはピカピカに磨かれた真鍮の操舵輪や、当時のままに復元された計器類が見える。またかなりご高齢の方ばかりだが、実際にこの航空母艦に勤務していた退役軍人の方がボランティアで説明してくれる時もある。

キャプテンズ・ブリッジ

攻撃を直前に控えたパイロット達にブリーフィングを行う、Ready Room。長時間待機というケースもあることを想定して、ビジネスクラス並みの座り心地の良い椅子が印象的だ。

パイロット達にブリーフィングを行う、Ready Room

イントレピット海上航空宇宙博物館には航空母艦だけではなく、英国航空のコンコルドや、Growlerという潜水艦も展示されている。1週間滞在しても足りないほどニューヨークは見所満載だが、ミリタリーオタクでなくとも楽しめるイントレピットを訪れてみてはいかが?

アメリカ人に人気の観光スポット、パールハーバー

前述の降伏文書の調印の舞台となった戦艦ミズーリは、ハワイの真珠湾にある。1700年代にこの湾で真珠が発見されたことから、パールハーバーと呼ばれるようになったがアメリカ人にとっては人気の観光スポットだ。パールハーバー・ヒストリック・サイトには、真珠湾攻撃で沈没した戦艦アリゾナ号が見学できるアリゾナ記念館の他に、潜水艦USSボーフィン、ゼロ戦も展示されているパシフィック・アビエーション博物館、そしてもっとも圧巻な戦艦ミズーリ記念館がある。

真珠湾にある戦艦ミズーリ

ここで見逃せないのは、右舷の分厚い鉄板が少しへこんでいるところだ。鹿児島沖を航行中のミズーリに対し神風特攻隊のゼロ戦が低空飛行で右舷甲板に突入した時の傷跡だ。もちろんパイロットは、胴体が真っ二つになって即死。

ウィリアム・キャラハン艦長はこの特攻隊パイロットの祖国を思う勇気を、名誉を持って自らの任務を全うした軍人として称えるべきとして、乗組員の反対を押しのけて、海軍式の水葬で弔う事にした。下の写真で旭日旗が遺体に掛けられているが、米兵が徹夜をして布の切れ端を縫い合わせて作ってくれたものだ。その時の水葬が行われた場所を示す足跡のマークも残っている。

右舷の分厚い鉄板のへこみ

水葬を行う水兵たち

水葬を行った跡

その後の調査でそのパイロットは鹿屋基地を出撃した第五建武隊の石野節雄海軍二等兵曹と推定されたそうで、写真も掲載されていた。

石野節雄海軍二等兵曹の写真

降伏文書の調印にはさまざまな思惑が

さて、降伏文書の調印式の様子はというと、マッカーサーは知恵を絞り用意周到に様々の演出を実行した。

(その1)9時きっかりに調印式を開始するため、義足の重光葵政府全権(外務大臣)が乗船からデッキに到着する時間を計るため、箒を義足にして乗組員に何度もリハーサルをさせた。8時56分に船が到着し、2分遅れの9時2分に調印式が始まり、23分間世界中に放送された。

降伏文書調印式に向かう日本の代表

(その2)日本側の小柄な代表団を威圧するようにデッキの前方には身長180cm以上の兵士を並べさせた。

(その3)戦艦ミズーリは100年前にペリー提督の旗艦ポーハタン号と同じ場所に停泊させた。

予定に無かったスピーチをするマッカーサー

(その4)調印式の冒頭に予定になかったスピーチを行った。

(その5)2枚の星条旗を飾った。そのうちの1つは真珠湾攻撃の際にホワイトハウスに飾られていたもの、もう1つは黒船来航時にペリーの艦体が掲げていたもの。要はペリー来航から100年目にして日本を完全に征服したのだということを誇示する意味。

黒船来航時にペリーの艦体が掲げていた星条旗

(その6)調印にあたって6本の万年筆を使い分けた。コレヒドール島で指揮をとったウェンライト、シンガポールで降伏したパーシバル、ウェストポイント士官学校、アナポリス海軍兵学校、1本は妻に残した。

降伏文書に調印するマッカーサー

もう1つのエピソードは、各調印者は正副2枚の文書に署名をしたが、カナダ代表コスグレーブ大佐が署名する際、 所定の署名欄ではなく1行飛ばしたフランス代表団の欄に署名してしまった。ところが次の代表であるフランスのルクレール大将はこれに気づかずオランダ代表の欄に、そしてオランダのヘルフリッヒ大将は間違いには気づいたものの、マッカーサーの指示でニュージーランド代表の欄に署名し、最後の署名となるニュージーランドのイシット少将は欄外に署名することとなり、カナダ代表の欄が空欄となってしまった。

当然日本側はこのようなものは公式文書としては認められない。調印のやり直しを要求するも、すでに各国代表は祝賀会の最中のため認められず、サザーランド中将が間違った4カ国の署名欄を訂正したとの事。

アリゾナ号と向き合う戦艦ミズーリ

戦艦ミズーリは真珠湾攻撃で撃沈されたアリゾナ号と向き合う形で停泊してる。太平洋戦争の始まりとその結末を象徴的に表しているわけだが、マッカーサーの手の込んだ徹底した演出といい、淡白な日本人にはなかなか計り得ない深謀遠慮の世界といえるのではないか。

同ヒストリックサイト内にあるパシフィック・アビエーション博物館もなかなか見ごたえがある。いかに真珠湾攻撃が敵ながら秀逸な作戦であったのかを克明に説明している。ビーチだけがハワイじゃない?! 是非訪れてみてはいかがだろうか。

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関克久 (Katsuhisa Seki)

関克久 (Katsuhisa Seki)

ライタープロフィール

旅行のプロデュースに携わって30年。趣味は写真。「百聞は一旅に如かず」旅に出て初めてわかるのは、実は故郷の良さなのかも知れません。「旅は百薬の長」、皆さん旅に出ましょう!

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