ルート61 音楽街道の旅
文/細田雅大(Text by Masahiro Hosoda)
写真/川畑嘉文(Photos by Yoshifumi Kawabata)
- 2013年6月5日
2日目 11月3日
ブルースの道を経てメンフィスへ
午前8時30分に出発。濃い霧の中、綿花畑を走る。車内のBGMをニューオーリンズのディキシーランド・ジャズからロバート・ジョンソンに変更。かつて南部デルタ(ミシシッピの河口地帯)のミュージシャンたちは、より良い評価と報酬を求め、この道を通って北の都市を目指したという。
道を渡ろうとするコヨーテを目撃。しかし我々の車に驚いて林の中へ退いてしまう。アメ車のドッジは燃費が悪いのか、早くも最初の給油。満タンにして44ドル。438号線との交差点で61号線を左折し Old 61 Hwy へ。こちらが昔の61号線。10時過ぎにリーランドに到着。さびれた小さな町で、ほとんど人影はない。
ヴィックスバーグ近辺からメンフィスまでの61号線は「ブルース・ハイウェイ」と呼ばれており、この町にはその名もズバリな、ハイウェイ61ブルース博物館がある。ミュージシャンを描いた町中の壁絵を見てから博物館へ。ギターやハーモニカ、ミュージシャンの白黒写真や衣装が展示されている。地元在住のブルースシンガー、パット・トーマスさんが偶然現れ、アコースティックギターを弾きながら歌い始めた。演奏の合間に話しかけてくれる大サービスだが、南部英語かつ黒人英語なので、ニューヨーク在住の私にはあまり理解できない。博物館の職員からは「ブルース・ハイウェイを旅するのなら旧道の61号線じゃないとダメだよ」「世界16カ国から観光客が来たよ。夏にはノルウェーのバイカーが裸でやって来た」などと教えてもらう。果たしてホテルがあるのかどうかすら分からない小さな町だが、ずっと滞在したくなる。
しかし先を急ぐ我々は、すぐに出発。午後1時にクラークスデールに到着。ロバート・ジョンソンが悪魔に魂を売ったのはこの町のそば、61号線と49号線の交差点のはずだが、土曜日で休館中だった観光センターのドアにある地図を見ると、正確には161号線と49号線の交差点。しかしそこに行っても何もない。ただ黒い棒が立っているだけ。「61」「49」という看板と二つのギターからなる記念碑があるはずなのだが……。このあたりに数多いブルース関係の博物館の一つ、デルタ・ブルース博物館で尋ねると、記念碑は161と49の交差点に間違いなく立っているとのこと。しかし、どうしても見つからない。近くの自動車修理工場のおじさんに記念碑の写真を見せると「月曜日に撤去されちゃったよ。改修するらしい」とのこと。川畑氏も私も、今後に差し障りのない程度に魂の一部を売り渡し、優れた撮影能力と執筆能力を授かって売れっ子になるつもりだったので、少しがっかり。
その交差点にあるChurch’s Chickenというファストフード店でBig Texというテキサス流サンドイッチを食べて2時過ぎに出発。綿花畑の中をひたすら走る。3時45分、メンフィスのスタックス博物館に到着。「Sitting on the Dock of the Bay」などで有名なオーティス・レディング他を輩出した名門スタックス・レコードの跡地にある博物館だ。駐車場のスピーカーからは同レーベルの音楽が流れている。
旅の里程標として博物館までやっては来たものの、もともと私は美術館や博物館の類いに興味はなく、今日は既に一つ博物館に入っていることもあって、中には入らない。レンタカー代が予想以上に高くなり他の出費を控えたいからでもあるが、博物館に収められている歴史的な品々を立ち止まって眺めるよりは、音楽を聴きながらただ道を走っていたいという気持ちが強かった。
有名なビール通りに到着すると、湖畔に近づいて大河を撮影。ビール通りに近い宿を探す。二人で一部屋93ドルのVista Inn & Suites。今回の旅で最も高額な宿泊料金となる。本来、郊外の安宿を好む我々だが、ビール通りではお酒を飲みつつ音楽鑑賞する予定なので、しょうがない。ホテルでおすすめレストランを尋ねると「Blues City Cafeのバーベキューが美味しい」とのこと。ビール通りを、ニューオーリンズのバーボン通りと比較してしまう。こちらの方がずっと短く、客も少ない。音楽のジャンルは限られ、熱気もない。お酒を飲んでも盛り上がらない。しかし、こうした判断は数日通ってからにすべきだ。おすすめレストランではテンダーチキンが美味しかった。ついつい、リーランドの町に思いを馳せてしまう。あそこには本当のブルースがある気がした。
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