ルート61 音楽街道の旅
文/細田雅大(Text by Masahiro Hosoda)
写真/川畑嘉文(Photos by Yoshifumi Kawabata)
- 2013年6月5日
7日目 11月8日
さらに北ボブ・ディランの生誕地へ
運動不足なので、モーテルの外に出て軽いランニング。ミネアポリスのさらに北なので耳がちぎれそうな寒さ。モーテルの駐車場で足を伸ばしていると犬の吠え声が聞こえる。くぐもった小さな音なのに、すぐ近くで吠えている。1台だけ離れて停められた車の中で、2匹の犬が牙をむき出し、凶暴に吠えている。この車は絶対に盗まれないだろうが、少し野蛮な気がしないでもない。
モーテルのシャワーはまるで温泉のよう。硫黄の香りがわずかに漂い、ちょっとぬるぬるした水質でお肌に良さそう。コーエン兄弟の映画「ファーゴ」の撮影場所であったことも判明する。ウィリアム・H・メイシーが最後、逮捕されたシーンが撮影されたのではないかと思う。
マクドナルドで朝食を取り、61号線の北端を越えてさらに北上。ボブ・ディランが生まれた街ダルースに向かう。1991年以前、61号線はワイオミングからダルースを通過し、カナダとの国境まで伸びていた。BGMはもちろん「Highway 61 Revisited」だ。
1時30分に到着。スペリオル湖のほとりのレストランで久しぶりにファストフードではない食事。隣の土産物屋の女の子に「ボブ・ディランを記念した道はどこ?」と聞くが、そもそもディランとは誰かを知らないよう。二人目の女の子がやっとBob Dylan Wayへの行き方を教えてくれた。ギターを弾くディランの後ろ姿を描いた小さなプレートが、点々と取り付けられているだけの道。ディラン饅頭とかディラン煎餅といった便乗商品は見当たらない。当たり前か。
20ドル分の給油をし、ミネアポリスへUターン。空港近くのMotel 6に57ドルで宿泊。深夜、川畑氏が飛び起きる。蚊の何倍も痒いナンキン虫(ベッドバグ)に噛まれている。今さらフロントに話して部屋を変えるのは面倒なので、川畑氏は寝袋にくるまり、床で寝た。
こうして我々の旅は終わった。のんびりした気楽な旅になるだろうと考えていたが、とんだ見込み違いだった。 総走行距離は2000マイルを超え、朝から晩まで移動続きの毎日に、私も川畑氏も疲労困憊した。とはいえ、楽しくなかったわけでは決してない。
道沿いの酒場で演奏しながら少しずつ北へ向かった古のミュージシャンたちの苦しみや喜びに思いは飛んだ。
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