第10回 手紙をありがとう
文&写真/樋口ちづ子(Text and photos by Chizuko Higuchi)
- 2014年2月20日
会ったことのない私の「子供」から1年に2度手紙をもらう。学校で勉強は何が好きか、運動は何をしているかなどの日常生活が書いてある。彼らは私の「血がつながった」子供ではないけれど、実の子と同じように思っている。
1999年頃、「心のチキンスープ」という本のシリーズがブームになった。気落ちした時などに読むと、元気になる話がのっていた。覚えている方も多いだろう。そこにバージニアにある「Children Incorporated」というNPOが紹介されていた。貧しくて学校に行けない世界各地の子供とその学費を援助するスポンサーを結びつけるNPOだった。
その頃、子育て真っ最中で余裕があったわけではないが、働いていた。何とかなるだろうと申し込んだ。
すぐに、子供の写真と家庭環境のプロフィールが送られてきた。ボリビアはスークレのマユミちゃんだった。日本名かもしれない。おかっぱで赤い服、白いソックスをはいていた。ほっぺの真っ赤な子だった。素朴な顔立ちは日本人のよう。気に入った。両親は教師だが生活が苦しいという。両親の収入は私が月々マユミちゃんに送る学費より低かった。
2年目にもう一人援助してもらえないかと手紙が来た。創立者のジェーン・ウッドは一人でこのNPOを立ち上げ、献身的に尽くしていた。送ってくる報告書がきちんとしていて、信頼が置けた。
今度はケニアの男の子だった。ウイクリフ君は大きな額の下に、怒ったような目をむいて写っていた。汚れた青いシャツと半ズボン。裸足だった。細いすねとぞうりのような大きな足。背景の野原にはゴミが散乱していた。母親が亡くなり、病気がちの父親は子供を育てられないと孤児院に彼を捨てたと書いてあった。
一人の月々の仕送り額は気取ったレストランでランチをする程度の額だ。クリスマス時には別に2倍の額をプレゼントとして送る。チェックを簡単に書ける時もあるが、他の出費が重なり、今年は半額にしようか、などと迷う時もある。ニ人の子供の顔がチラチラする。やっぱりいつもの額のチェックを切る。自分へのクリスマスプレゼントを削ればいいだけだ。

子供たちの写真と手紙
Photo © Chizuko Higuchi
1月末に子供たちから手紙が届く。ウイクリフ君からの手紙は実に粗末なわら半紙で、遠い昔の貧しかった日本を思い起こさせた。書きにくそうな鉛筆で書いた字がおどっていた。ところどころ消しゴムを使った跡もあった。勿論消えていない。アフリカの空気まで匂うようだった。
同じ子から7年間継続して手紙が来る。絵が入っていたり、文字も文章も変化したりして成長の過程が伺える。嬉しいものだ。7年が過ぎると、また、新しい子供が紹介される。マユミ、ウイクリフ、キャロリナ、カリウキ、ハロン。15年の間に手元には5人の子供たちの写真と30通余りの手紙が残った。
手紙はただの一度も間違って届いたことはない。膨大な数の子供に膨大な数のスポンサー。両者を結びつける一通の手紙。その配布にはきめ細かい配慮と、大変な労力とが払われているに違いない。手紙だけが子供とスポンサーをつないでいるのだから。
「ミセス・ヒグチ、クリスマスプレゼント、ありがとう。もらったお金で、僕は靴と服を買ってもらい、家族でミルクと粉と肉と花を買いました。楽しい一日でした」ハロン君からの手紙にはそう書かれていた。こんな手紙をもらったら、たとえ少し苦しくったって、この援助をやめることなんかできない。
「今年、大学に行きます」キャロリナはそう書いてきた。大きくなったね。
15年間、私はこの子たちを助けている気になっていたが、私が働き続けられたのは、彼らのおかげかもしれない。今、やっと気がつくのである。
手紙をありがとう。私の大切な子供たち。
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