第13回 願わくば

文&写真/樋口ちづ子(Text and photos by Chizuko Higuchi)

 願わくば、花の下にて春死なん、そのきさらぎの望月の頃。こう歌ったのは西行法師だ。日本人には花といえば桜。いっせいに咲いて、あっという間に散ってゆく。我々は古来、桜に魅了されてきた。

 「桜の樹の下には屍体が埋まっている。これは信じていいことなんだよ。何故って、桜の花があんなにも見事に咲くなんて、信じられないことじゃあないか」そう書いたのは梶井基次郎だ。勿論、桜の樹の下に蛆虫の湧いたしかばねは埋まっていない。こんな想像をするのは桜の圧倒的な美しさがかえって人の心を不安にさせるからだろう。

 私には桜の咲く時期になると、いつもT君の事件が脳裏をかすめる。一度も会った事はなかったけれど、彼の働くレストランに食材を卸していた人は身近な人だった。その人から聞いた。アメリカに渡ってきた同じ日本人として、他人事ではなかった。

 3〜4年前の桜の季節だった。ある深夜、オレンジ郡の近所で交通事故が起こり若い女性が死んだ。轢かれたのは看護学校を卒業したばかり、就職を待っていた前途洋々の女性だった。事故はローカルニュースでも大きく報じられた。

 場所はフリーウエーを下りてすぐに右折し、3車線の一番左まできて左折する所。普段から交通量が多い時は危険だと思っていた。でも、事故が起こったのは深夜だった。

 轢いたのは仕事帰りの日本人寿司シェフ、T君だった。深夜だからどの道もすいている。その日もそのはずだった。ところが思いがけなく車道に人がいて轢いてしまった。車道にいた女性は、前に事故を起こした人を助けようとして車外に出ていた。前方不注意のT君がその女性を轢き殺してしまった。

カリフォルニアの青い空 Photo © Chizuko Higuchi

カリフォルニアの青い空
Photo © Chizuko Higuchi

 T君は酒臭かった。お客に酒を勧められれば受けるのも仕事の内。現実とは思えない展開に彼の頭の中は真っ白だったろう。駆けつけた警官にどのように釈明できただろう。彼は連行され、過失致死罪に問われた。法廷弁護士が付き、数日後に帰宅して裁判を待つ身となった。

 ところがT君はいっこうに職場復帰しない。電話にも出てこない。心配した同僚がアパートを訪ねると、血の海の中で彼は割腹自殺していたのだった。

 これを聞いた私は凍りついた。彼に落ち度はある。しかし彼の責任の取り方がいかにも日本人的だったことが、私の胸を締め付けた。彼の苦しみと絶望、考えあぐねた末にとった道が痛いほど解るからだ。

 不注意の交通事故。誰にでも起こるかもしれない。T君に未来はなかったのだろうか。彼は加害者だが、いてはいけない所にいた人にも過失はある。生きていれば重刑になっただろう。死ぬほど恐ろしいといわれる米国刑務所生活が待っていただろう。しかし、それを乗り切った時、出獄して彼は何かができたはずだ。経験を人に話して参考にしてもらうこともできただろう。社会の役に立つ道が開けたはずだ。生きがいが見出せたかもしれない。残念だ。

 一方、愛する娘を奪われた両親の怒りと哀しみは察して余りある。彼の自死を知った彼らはどう思っただろう。溜飲を下げただろうか。最初に事故を起こした人はどう思っただろう。自分が事故を起こしたことが二人の死を連鎖的に引き起こしてしまった。貴重な若い命が過失で奪われ、もう一人の大切な命が自ら絶たれた。悲劇は二重になった。

 しのごの言い訳せず、清く自分の命をもってお詫びする。「日本の男の美学」は解る。しかし違う考え方、見方もある。切羽詰まった時にそれが生死を分けると言えないか。

 彼が生きる意味を選んでくれていたら。生に執着してくれていたなら…。そう思わずにはいられない。生きて、どれだけの事ができたかはわからない。茨の道だ。それでも、生きていれば、道ができてくる。道はないところに泣きながら自分でつくるものではないか。

 「願わくば」桜の季節に、そうつぶやくのである。そしてカリフォルニアの青い空を見上げる。

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樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

ライタープロフィール

カリフォルニア州オレンジ郡在住。気がつけばアメリカに暮らしてもう37年。1976年に渡米し、アラバマを皮切りに全米各地を仕事で回る。ラスベガスで結婚、一女の母に。カリフォルニアで美術を学び、あさひ学園教師やビジュアルアーツ教師を経て、1999年から不動産業に従事。山口県萩市出身。早稲田大学卒。

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