シリーズアメリカ再発見㉛
A River Runs Through…
テネシー州チャタヌーガ

文&写真/佐藤美玲(Text and photos by Mirei Sato)

「トレイル・オブ・ティアーズ跡」を示すサイン。近年ようやく地元で関心が高まってきたPhoto © Mirei Sato

「トレイル・オブ・ティアーズ跡」を示すサイン。近年ようやく地元で関心が高まってきた
Photo © Mirei Sato

涙の道

 ハーワシー・リバーとテネシー・リバーが交わる場所、「ブライス・フェリー」。釣りのボートが通り過ぎ、白頭ワシやカナダヅルが飛来する。なにも知らなければ、のどかな水辺の風景に過ぎない。
 1838年、土地を追われた先住民のチェロキーは、集団でここから川を渡って西部の居留地へ旅立った。俗にいう「トレイル・オブ・ティアーズ」(涙の道)の始まりだ。

 オハイオ・リバーからジョージア北部にかけて暮らしていたチェロキーは、アメリカの先住民の中でも特殊な歴史をたどった。
 開拓者やアメリカ政府に土地や資源を浸食される中で、チェロキーは白人に同化しようと努力した。キリスト教に改宗し、読み書きする文字をつくり、ヨーロッパ風に改名し、衣食住のライフスタイルも西洋風に変えた。人種差別も学び、黒人を奴隷として所有することさえ積極的に行った。
 それにもかかわらず、白人から見れば、結局は「野蛮人」に過ぎなかったのだ。
 連邦政府は、現在のオクラホマに「インディアン・テリトリー」を定めると、チェロキーやクリークをまとめて、彼らにまったく縁のない土地へ、強制移住させた。
 最後のグループがブライス・フェリーを出発したのは1838年の11月。川を渡り、カンバーランド高原の険しい山道へ。すぐに厳しい冬がきた。オクラホマまで約800マイル。ミシシッピ川も越えねばならない。半年近くかかった行進で、数千人が死んだ。奴隷主だったチェロキーに連れられて、黒人奴隷たちも一緒に移住させられた。

 3年前にブライス・フェリーに記念碑が建ったが、それまでは、地元にチェロキーの歴史を知らせるものはなかった。学校で教わることもなく、関心を示す人は少なかった。2009年にPBSで先住民の歴史ドキュメンタリー「We Shall Remain」が放映され、「涙の道」の存在を初めて知って衝撃を受けた人たちが保存に協力し、動き出したそうだ。

 旅慣れてくると、見えるもの、説明されているもの、用意されているものにばかり目を向けてしまいがちだ。でも、見えないもの、記録されなかったもの、あえて消されたものの方が、実は多いのだということを、涙の道は教えてくれているように思えた。


取材協力/Special thanks to Tennessee Department of Tourist Development

1 2

3

4 5 6

この記事が気に入りましたか?

US FrontLineは毎日アメリカの最新情報を日本語でお届けします

関連記事

アメリカの移民法・ビザ
アメリカから日本への帰国
アメリカのビジネス
STS Career

注目の記事

  1. 2025年10月8日

    美しく生きる
    菊の花 ノートルダム清心学園元理事長である渡辺和子さんの言葉に、「どんな場所でも、美しく生...
  2. 2025年10月6日

    Japanese Sake
    日本の「伝統的酒造り」とは 2024年12月、ユネスコ政府間委員会第19回会合で、日...
  3. アメリカの医療・保険制度 アメリカの医療・保険制度は日本と大きく異なり、制度...
  4. 2025年6月4日

    ユーチューバー
    飛行機から見下ろしたテムズ川 誰でもギルティプレジャーがあるだろう。何か難しいこと、面倒なこ...
  5.        ジャズとグルメの町 ニューオーリンズ ルイジアナ州 ...
  6. 環境編 子どもが生きいきと暮らす海外生活のために 両親の海外駐在に伴って日本...
  7. 2025年2月8日

    旅先の美術館
    Norton Museum of Art / West Palm Beach フロリダはウエ...
  8. 約6億年も昔の生物たちの姿が鮮明に残るミステイクン・ポイントは、世界中の研究者から注目を集めている...
ページ上部へ戻る