第1回 出会った恩人
文&写真/樋口ちづ子(Text and photos by Chizuko Higuchi)
- 2013年5月20日
「ああ、最初の1軒を売りたい、それさえ出来れば」
これは、不動産エージェントになった者が最初に出くわす関門だ。家を売るのは靴1足売るのとはわけが違う。おそらく大多数の日本人には一生に一度の最大の買い物。ローンの完済まで30年かかる。そんな買い物を、今まで一度も家を売ったことのないエージェントに誰が頼むだろうか。1年間頑張っても1軒も売れずに廃業する新人は実に全体の40%にも上る。私も悩んだ一人だ。努力の甲斐なくお客様がつかない。3カ月経った。ひょっとしてダメかも。そんなある日、1本の電話を受けた。
「フロントライン誌の広告を見てニューヨークから電話しています。今度ロサンゼルスに転勤になるので、この週末、ロサンゼルスの家を見学できませんか?」
週末まで2日しかない。嬉しいが、いくらなんでも、今回は軽く下見だけだろう。当日、初対面のN夫妻に会った。調べておいたご希望のアリソビエホの6軒の家を案内した。夕方、「明日は予算を上げて、もう少し大きい家をアーバインで見たい」と言われた。私のほうはドッキリである。14年前のことだ。今ほどインターネットも発達しておらず、夜中までかかって新地域、新予算で検索した。これは簡単なようで、実は念入りな下調べを要する作業だ。必死である。32軒あった。ベスト15まで絞る。
翌朝、日が昇るのももどかしく15軒の位置と内部を下見する。ベスト8につめる。その日の夜には夜行便でニューヨークに帰られる夫妻に伝えた。一番良い家から案内します、と。5番目の家を見終わった時、もういいと言われた。断られる、と思った。ところが、最初の家3軒をもう一度見て、その中から決めると。驚いたのなんのって。結局、最初の家に買いを入れることになり、大慌てで会社にお連れした。契約書を用意する手が震えていた。終わって夫妻をホテルに送り届ける時、大失敗をした。外はもう真っ暗。高速道路の入り口を間違えて、とんでもない所に行ってしまった。あの時の絶望的な状況は今思い出しても冷汗が出る。ご夫妻は後部座席で何も言われなかった。やっとホテルに送り届け、ぎりぎりで飛行機に間に合った。

ラグナビーチとカモメ
Photo © Chizuko Higuchi
翌朝は5時起きである。スキャナー、Eメールという便利なものがまだなかった。3時間の時差。ロサンゼルスの現地時間で朝6時前に電話とファクスでやりとりした。とうとう最初の、しかも大きな家を売ることが出来た。嬉しかった。
N夫妻は転居後も、投資物件を買われるなど、3度も私に物件探しを依頼してくださった。私は益々自信がついた。N夫妻から毎年届くクリスマスカードにはいつも、「頑張っていますか」という言葉が添えられていた。6年後、リタイヤされてまたニューヨークに戻られた。「まだ、若さが残っているうちは厳しい寒さのニューヨークでチャレンジしてみたい」と。お二人の決断に驚いた。引退先にニューヨークを選ぶなんて。夫妻でまた学生生活を始められた。
2年後、日本から、1枚のハガキが届いた。ご主人からだった。
「妻がガンで他界しました。病床でアメリカ生活が楽しかったと何度も言いました。お世話になったお礼に、ニューヨークのジャパンソサエティーに遺産の半分を寄付しました。生前のお付き合いを有難うございました。頑張っていますか」
涙がポタポタと落ちた。フロントライン誌の広告で出会ったご夫妻。私の恩人。それから3年後にご主人も亡くなられた。寂しさを紛らわす一人旅の途中で。
私達は皆、旅人である。しかし、アメリカのどこかで、誰かに、出会える。フロントラインを手に取るたびに無意識に広告欄を見る。初心に戻るために。そして自分に問いかける。頑張っているだろうか。
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