ひろしまの遺品 “美しい”傷跡みつめる
石内都写真展 「Postwar Shadows」
ロサンゼルス、ゲッティー美術館で始まる
文&写真/佐藤美玲(Text and photos by Mirei Sato)
- 2015年10月14日
- 2015年10月20日号掲載
この企画展のポスターを初めて見たとき、ファッション展なのかと一瞬思った。ふわりとして透き通ったアバンギャルドなドレス。小花模様のブラウス。やわらかそうな靴。刺繍のはいった布のバッグ…。しかしこれらはみな、広島に投下された原爆で亡くなった女性たちの「遺品」。日本を代表する写真家、石内都(いしうち・みやこ)さんが撮った「ひろしま/hiroshima」シリーズの一部だ。
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ロサンゼルスの美術館ゲッティー・センターで、10月6日から始まった「Ishiuchi Miyako: Postwar Shadows」。今年は、広島・長崎への原爆投下から70年目。「ひろしま」シリーズは、アメリカの美術館では初公開となる。
石内さんは2007年、初めて広島に行った。依頼を受けて、広島平和記念資料館に保存されている被爆者の遺品を撮影するためだ。原爆の遺品はすでにたくさんの有名な写真家によって撮られている。そのほとんどは、すべてが静止したようなモノクロの世界で表現されてきた。しかし、石内さんが遺品に見出したのは、死ではなく、「生」だった。
男性の多くは戦場に行っていたから、遺品は必然的に、女性が身につけていたものが多い。洋服、靴下、靴。絹のワンピースやスカーフ、ブラウスもあった。
「いろんな色があって、模様があって、かっこいい。そして、とてもオシャレ。自分が17〜18歳で、当時広島に生きていたら、こんな服を着ていたかもしれない。原爆が落ちる前は、みんな普通にオシャレをしていたんだよね、と思いました」
「『死者何十万』という数字ではなくて、このブラウスを着ていた1人の女の子と向き合っている、というリアリティーがありました」と話す。
石内さんが「コム・デ・ギャルソンと呼んでいるんですよ」と言う、黒っぽいドレスがある。持ち主の名前は、わかっていない。
「あとで知ったのですが、(コム・デ・ギャルソンのデザイナー)川久保玲が最初に(パリコレなどで洋服を)発表したとき、『原爆ルック』と言われたぐらいだから、あながち間違いではないと思いました」
死ではなく生、美しいからこそ、宙に浮いているようなイメージで、ファブリックの質感が出るように、カラーで撮った。
発表した写真は、「美しすぎる」という理由で批判を受けた。原爆を私物化してはいけない、美化してはいけない、というタブーが日本にはあるからだ。
「遺品をよく見れば、傷も焼け跡もある。でも私は傷跡も美しいと思う。美しいものしか撮れないです」
これらの遺品の持ち主は、いまだ「行方不明」だ。「どこかで生きているかもしれません。帰ってくるかもしれないんです。そのときのために、きれいに撮っておきたい」
戦後70年が経った今も、毎日のように被爆者の遺品が、広島平和記念資料館に持ち込まれる。それらを石内さんは撮り続けている。
「日本の戦後は、まだ終わっていません」
Ishiuchi Miyako: Postwar Shadows
■会場:The Getty Center (1200 Getty Center Drive, Los Angeles, CA)
■入場料:無料。ただし駐車場15ドル(4pm以降10ドル)
■開館時間:火水木金日10am〜5:30pm、土10am〜9pm、月休
■会期:2016年2月21日まで
■詳細:www.getty.edu
石内さんの写真家としての軌跡をたどる大型企画展で、全120点以上を展示。
6歳から19歳まで過ごした横須賀を撮ったシリーズ「横須賀ストーリー」も、見もの。オンボロアパートや、娼婦、米兵相手のクラブなどを撮った。自身が赤線地帯を歩いて学校に通い、6畳半1間のアパートに家族4人で暮らした。「あまり思い出したくない思い出」(石内さん)に立ち戻って、地図を見ながら街を歩いた。「撮ったのはすべてネガティブな思い出ばかり。それが、写真でポジティブなものになった」という。
病気や戦争、ケガなどで身体に残った傷跡を撮ったシリーズ「キズアト」も、印象的。「目に見えない時間、空気というものが、身体にはある。身体は受け止めるだけで、排出できないから。傷跡は、生きている証拠、記憶だ」と石内さん。
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