ロスから車で2時間東に入った所にパームスプリングスがある。避寒地として有名である。ハリウッドの銀幕のスターたちや、東海岸の富裕層の別荘がある。町は冬場のシーズンには華やかな人々で溢れるが、暑い夏は地元の人だけでひっそりと眠っている。
この町で娘はランチョミラージュ小学校にあがった。全校生徒300名ばかりの小さな学校で、娘はただ一人の日本人だった。担任はミセス・ニカソン。ある時、娘が描いた横顔の人が走っている絵が彼女の目にとまったらしい。この年齢では正面を向いた立ち姿がほとんど、あなたのお子さんは珍しいと、声を掛けられた。問われるままに、家庭環境を話した。私は夜、時々、ウエートレスの仕事をしているが、日本では教師の資格を持っていた、などと話した。彼女は丁度良かった、教室に絵をかけたり、教材を準備したりを、手伝ってくれないか、といった。昼は空いていた。子供の英語も心配で、引き受けた。
一年間クラスを手伝う間に気がついた。彼女はいつも金髪のボブヘアーをきちんと内巻きにし、清潔なブラウス、少しフレアーのかかった膝下までのスカート、ローヒールの靴という定番のスタイルだった。必ずベルトをしていた。慌てることがなく、一度も髪や服装が乱れていることもなかった。真っ青な大きな目が泰然と微笑み、どこから見てもレディーだった。きっと仕事一筋の独身女性に違いない。
1学期の最後にフィールドトリップをする。農場に行くといわれ、是非、シャペロン(付き添い)で来るようにといわれた。その日は他の母親も沢山来るので、私は気が進まなかったが珍しく彼女は「必ず来なさい」と強制した。
数日前のクラスで「植物が育つのに何が必要ですか」と彼女が子供たちに聞いていた。太陽、水まではすぐに答えが出たが、土が出てこない。「植物が育つには土が必要です。私の夫はファーマーです」と彼女がいった。夫がいる、という言葉に驚いた。夫が細々とクワであぜ道を耕している姿を連想した。きっと彼女が夫を養っているに違いない。
当日、子供たちを乗せたバスはインディオという町をドンドン離れ、周囲360度、地平線まで続くとうもろこし畑のど真ん中に停まった。こんな気の遠くなる様な見渡す限りの広野に来たのは生まれて初めてだった。恐ろしくて身がすくむ。そこに、白いジープを飛ばし、背が高くがっちりした男性が颯爽と現れた。彼は畑の真ん中に立ち、とうもろこしが実るまでの過程を子供たちに説明してくれた。実にカッコイイ。
それから工場に行き、収穫された作物がベルトコンベアにのり、氷と一緒にダンボール箱に詰められ、出荷される行程を見学した。工場の規模のすごさ、外には大型トラック15台が停まっていた。さっきの男性がここの副社長で、彼が彼女の夫だった。アメリカと日本の農業の違いに仰天した。彼女はこれを私に見せたかったのだと合点した。
その夏、夫の転職でこの地を離れることになった。彼女は残念そうにいった。「あと、もう一年ティーチャーズエイド(教師助手)をあなたにさせて、米国の教師の資格を取ってあげようと思っていたのに。私がハワイで小学生だった時、友達は皆日本人だったの。楽しかったわ。両親が農場で働いていたの」と。私たち親子に特別親切にしてくれたそのわけがやっと解った。勤勉で誠実なハワイの日本人移植者。その思い出があったからこそ、私たちに特別な愛情を注いでくれたのだった。一生をかけて日本人への信頼を勝ち取ってくれた見ず知らずの日本人に助けられていたのを知った。たまらなく嬉しかった。
オレンジ郡に移ったその年のクリスマスに、彼女からカードが届いた。ビックリ仰天した。彼女の背丈に近い男の子2人と女の子一人。3人の子供と夫に囲まれたいつもの笑顔の彼女が写っていた。子供がいたとは。どうやって実業家の夫の妻であり、3人の子供の母親であり、仕事に打ち込む教師でいられたのだろう。クリスマスカードが眩しかった。ああ、これがアメリカ女性の生き方なんだ。私は長い間その写真を自分の粗末な机の正面に貼っていた。
あれから何十年も過ぎた。「いい女」とはこういう女性をいうのだと、今でも思っている。
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