私は、ここぞという踏ん張り時に人に会う時、必ず身につける物がある。書類に向かう時は身が引き締まる黒のスーツを着る。重要な面談の時にはレディーらしい上品で華のあるドレスを着る。そしてそのどちらの時にも、首元には必ず一連のパールのネックレスをする。
アメリカ人として育った娘は親が時代遅れの格好をしないよう、見張っている。シルバーのネックレスのほうが若々しく見えるよ、金の直線のネックレスが今はやりよ、大ぶりの明るい色のネックレスはおしゃれよ、などなど。裏をかえせば、パールはダサイよ、と言いたいのだ。大抵の事は、彼女の意見を聞くが、パールのネックレスには装飾以上の役目があり、これだけは譲れない。私を落ち着かせ、精神を引き締めてくれるものだから。
地方から東京に出た学生時代、満員電車の中で、つり革に揺られながら立っている一人の白人女性を見た。白髪が混じるその人は水色のワンピース姿で、素顔。首筋にパールのネックレスが鈍く光っていた。その顔に引き付けられた。回りの人々がヨレヨレで疲れきった顔をしているのに、その人の周りだけ清涼感が漂い、おだやかな威厳があった。素顔にパールはなんて似合うのだろう。その人の顔、姿をまるでシャッターを切るように脳裏に刻んだ。
以来パールのネックレスはいつかほしい憧れの品になった。それが、ある時、転がり込んだ。姉が修道女になる時、「もう私にはこれは要らないから、あなたにあげる」と手渡されたのだ。手の中で真珠は乳色に光っていた。上品なだけではない。力強い存在感があった。

Photo © Chizuko Higuchi
仕事の不動産業は大金が絡む場面や、正しく対処しないと後日トラブルになる問題に出くわすこともある。以前の日本では、不動産取引は、騙し、騙される、不透明で汚い世界という社会通念がまだ一部残っていた。姉はリアルターになった私を心配し、
「大丈夫あなた、まっとうな仕事をしなさいよ。正々堂々と正しい道を歩きなさいよ」と忠告してくれた。米国ではリアルターは専門職で取引のプロセスはきっちりと書類化され、不透明な所は何もない。
しかし、駆け出しの頃は震えるように怖い時もあった。怖い理由は、誰にも分からない将来の市場を予測し、それにかける多少のリスクを負うことだった。頭をフル回転させ、集中し、この決断でいいのか、と自問する。突き詰めて分析した後の答えがイエスなら、もう躊躇はしない。一歩を踏み出す。踏み出さなければ何も始まらない。その責を自分が負う覚悟をする時、パールのネックレスをくれた姉に恥じない行動であるか、無意識に聞いていたのかもしれない。
物に特別の思い入れをするのは、本人以外の目には滑稽である。しかし、物に価値があるのは、物の背後にある思い出や、そこに込められた人の心や愛があるからである。その人だけのこだわりがあればあるほど、物には意味があり、生きた時間は濃密なものになるだろう。一本のパールのネックレスに私は一生問いかけるだろう。まっとうに生きているだろうかと。
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