リオ・オリンピックへ
米新体操団体代表 アリサ・カノウさん
- 2016年8月9日
- 2016年9月号掲載
リオ五輪の新体操団体競技にアメリカが20年ぶりに選手を送り込んだ。この種目が五輪に追加されたのは1996年のアトランタ五輪で、その際は開催国の特権を活用したが、実力で出場資格を勝ち取ったのは今回が初めてだ。アメリカ五輪史上初快挙を遂げたこの5人組には東京生まれのアリサ・カノウ(21歳)さんが含まれている。五輪開幕前の7月末、アリサさんと母親のエヴァさんに話を伺った。
新体操のアメリカ代表選手が正式発表されたのは6月13日。ロードアイランドで行われた全米選手権最終日だった。「国を代表できるなんて、すごく嬉しい」とアリサさんは声を弾ませる。だが、この朗報をまったく予期していなかったわけではない。アメリカは昨年9月、ドイツで行われた世界新体操選手権でリオ五輪の切符を手にしており、その時点でアリサさんと補欠1人を含む6人の出場がほぼ確定していた。この6人はリオ五輪出場に照準を合わせ、4年前に米国体操連盟がシカゴに招集したエリートで、国内シニア部門(16歳以上)では唯一の団体競技選手だ。基本的に個人競技として練習する新体操で、後進国のアメリカは団体競技を少数精鋭で強化する方針を採用。それが世界選手権でアメリカ大陸からの出場4カ国中トップの13位という実を結び、五輪出場権を手にすると、その立役者がそのままリオへ行くことになった。「コーチの言葉を信じて続けてきてよかった」。女手一つで2人の子供を育てたエヴァさんは感慨深げだ。
偶然が重なって新体操へ
アリサさんが新体操を始めたのは9歳の時。意外と遅い。娘と年恰好が似ていたからと、たまたまエヴァさんがレストランで話しかけた日本人の女の子が新体操をやっていた。州大会に出るから見に来てと誘われ、アリサさんを連れて行くと、「私もやりたい」と言い出したのがきっかけだ。先天的な資質にも恵まれた。生まれつき手足が長く、体が柔軟な点は新体操選手として大きな強みだ。当初はマンハッタンの自宅から近い新体操クラブに通ったが、そこが閉鎖されると、ブルックリンなどで教室を展開している名門イサドラ新体操クラブへ移らざるを得なくなった。そこでウクライナ出身のコーチ、ナタリア・キリエンコさんに出会う。早くからアリサさんの素質を見抜いた彼女は「週4日3時間の練習を欠かさなければ、アメリカのトップ選手に育て上げる」と断言した。また、アリサさんがアメリカ代表を狙えるよう、エヴァさんにはアメリカ国籍の取得を勧めた。
学校生活との両立に悩む
新体操選手として頭角を現す一方、学業との両立は難しくなった。学力の高い公立校へ通えるようにと、郊外のウエストチェスター郡へ引っ越したのだが、そのおかげで新体操クラブへの移動時間が片道1時間半を超えるようになった。当初は仕事を終えたエヴァさんが車で送迎していたが、ベビーシッター不要の13歳になると一人で電車とバスを乗り継いで練習へ向かった。ただ、移動中や帰宅後に宿題をやろうとしても、疲れてできない。アイビーリーグを目指す生徒が揃う学校で、宿題をやらずにいい成績は取れない。学校からは個別のカリキュラムを勧められたが、友達と別行動になるのは嫌と本人が断った。1年間はホームスクールも試したが、やはり続かなかった。新体操を続けているせいで普通の高校生活が送れない。新体操で頑張っても、アメリカ国籍がない自分には代表に選ばれるどころか、その前提条件となる全米選手権にさえ出る資格がない。そう考えると馬鹿らしくなり、アリサさんは練習をサボるようになる。この悪循環をどうにか断ち切ろうと、エヴァさんはアリサさんをアート・スクールへ転校させることにした。絵画やデザインを得意とするアリサさんが水を得た魚のように元気を取り戻すと、自然と成績も改善した。「やっぱり私やるから」と新体操の練習へも戻り、高校卒業後はパーソンズ美術大学へ奨学金で進学することもほぼ決まった。ちょうどその頃、エヴァさんがようやくアメリカ市民権を取得でき、アメリカ人になったアリサさんは初めて全米選手権に出場できることになった。
人生の一大転機
2012年6月の全米選手権は初出場だったが、進路も決まったアリサさんはこれを最後の記念に新体操から引退するつもりだった。個人総合で16位。国別出場枠が最大2つしかない個人競技では厳しい結果だ。これで悔いなく新体操人生を終えられる。そう思っていた矢先に、米国体操連盟からメールが届いた。リオ五輪を見据えた団体メンバーに選出したので、トライアルキャンプに参加して欲しいという内容だった。この知らせにアリサさんは突然泣き出した。嬉し泣きではない。「人生が一転してしまうような出来事。どうしたらいいのか分からなくて泣いていた」とエヴァさんは話す。チームはシカゴ郊外のノースショア新体操センターで練習するため、高校3年生の新学期直前に再び転校を強いられる。また、エヴァさんは仕事を辞めるわけにいかず、引っ越すのは当時17歳だったアリサさんだけだ。
参加をためらう彼女に対し、コーチ陣は異口同音にこう言った。「今しかできない経験だから、絶対行きなさい。行って嫌なら辞退すればいい。大学はいつでも行ける」。こうして嫌々行ったキャンプから戻ったアリサさんは「別人だった」とエヴァさんは言う。それまでは「ママがやれと言うから」と話していた娘が、「私がやりたいから、これやっていくことにしたんだからね」と言い切った。こうしてアリサさんは単身シカゴへ引越し、元選手の親に後見人になってもらって一緒に暮らしながら、5人のチームメイトと4年後の五輪へ向けた特訓を開始した。
いざ、リオの大舞台へ
あれから4年。大舞台に立つまで3週間を残すばかりとなった。「まさか自分が出られるとは思わなかった。夢のようです」。新体操団体競技の予選は閉会式前日の8月19日からと遅く、チームがリオ入りするのは13日。開会式はいつものようにテレビで見るため「まだ実感がわかない」と彼女が言うのも納得できる。ジカ熱や治安など不安要素も多い中、「私が見に行かないで誰が行く?」とエヴァさんも応援に駆けつける。「スコアや結果はともかく、今まで練習してきた成果を披露できる最高の演技を見せてくれたらと願っています」。
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