第46回 黙って読む教科書

文&写真/樋口ちづ子(Text and photo by Chizuko Higuchi)

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Photo © Chizuko Higuchi

 数カ月の間に二人の親しい知人をあの世に見送った。庭に生息する小さな虫さえ動かなくなるのを見るのは寂しいものであるが、それが人間なら寂しさはひとしおである。人は意思疎通があるから、助け合って事を成し遂げ、喜び合った相手がどこか手の届かない所に逝ってしまうのは、心底辛い。そうして別れを告げた人は今を盛りの青年男子だった。まだ幼い子供たちと家庭を守ってきた最愛の妻を残して。どんなに辛かったろう。残された人は悲しく、残してゆく人は悔しい。その無念さは本人にしか理解できないだろうが、生きている者にも、多少は想像できる。生きる人は毎日忙しく、車を運転して家路に急ぐ。死に行く人は自分だけ真っ暗闇の荒野に降ろされる。生という車は遠のく。生の世界から切り離される寂寥感は耐え難い。誰もが必ず経験する辛い運命だ。

 彼は高校から米国に留学し、ほぼ米国人として生きてきた。その葬式は特別に悲しかった。サッカー仲間のがっちりした体躯で働き盛りの白人男性たちが、堪えきれずにすすり泣く声があちこちから聞こえた。こんな葬儀は初めてだった。仲間が彼をいかに愛し、彼の無念さをわが身のものとして感じているかがヒリヒリと伝わってきた。病気は故人には何の落ち度もない難病で、たまたまそういう体質をもって生まれてきただけのことだった。あんなに元気だったのに、あんなに明るい好青年だったのに。なぜこんな耐え難い運命が彼に与えられたのか。その、なぜ、の答えはない。その理不尽が、私たちの心をかきむしった。

 もう一人は、お孫さんにも恵まれた77歳の男性だった。やりたいことを存分にやり遂げた豊かな人生だった。しかし、類まれな人だったからこそ、最後まで、ファイティングポーズを崩さなかった。病院のベッドの上でも次のクルーズを予定し、ビジネスの将来を錬り、見舞いの人には、必ずこの病気を治しますから、と宣言した。気力に溢れた姿を見舞人に見せるのは彼の相手を思う優しさであり、そう宣言することで、自らを叱咤激励していたのであろう。家族を愛し、友を愛し、生きることをとことん愛した稀有の能力の持ち主の早すぎる旅立ちは我々を驚愕させた。

 こういう体験が積み重なると、当然自分の死も身近になる。知らず知らずにその時の準備をしている。死は以前ほど、恐ろしいものでも、悲しいものでもなくなった。それだけ感覚が鈍ってきたとも言えるし、十分に生きる時間が与えられ、心残りが少なくなったとも言える。親や親友、知人が先導してくれた道を自分も辿ってゆくことが素直に受け入れられる。命はなんとなく続いてゆくものではない。いつか最後の時が来る。

 お葬式は非日常の世界から、日常の世界を見る大切な時だ。死は他人のものではなく、自分のものだということを知る時だ。その時に泣き言を言わないためには、今どうしなければいけないかを考える。

 アメリカではよくバケットリストという言葉を耳にする。死ぬまでにやり遂げたいことのリストだ。例えば、富士山に登りたい。四国、八十八箇所を巡礼したい、アメリカのルート66を車で走ってみたい、アメリカ横断旅行をしたい、世界旅行をしたい。したいことを一つずつやり遂げてゆけば、死ぬ時にこの世に未練が少なかろう。

 私たちはどんな親から、いつ生まれるか、選ぶことは出来ない。裕福で、教養のある親から生まれるか、貧しい親から生まれるか、戦時下の国に生まれるか、平和な国に生まれるか、選べない。家族に見守られ、自分の温かいベッドの上で死ぬのが理想であるが、交通事故で死ぬことも、人に殺されることもあるだろう。死ぬ時も、所も、死に方も、選べない。生まれ方、死に方を選べないとはなんと不公平なことだろう。

 しかし、その不公平に不満を言うだけの毎日を送るか、不公平や理不尽に拮抗してどれだけ楽しく豊かに生きるか、選択はできる。それだけは選べる。自分の死を前にして、これでいい、と言いながら休みたい。親しい人の死は人生の教科書である。黙ってその教科書を読む。

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樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

ライタープロフィール

カリフォルニア州オレンジ郡在住。気がつけばアメリカに暮らしてもう43年。1976年に渡米し、アラバマを皮切りに全米各地を仕事で回る。ラスベガスで結婚、一女の母に。カリフォルニアで美術を学び、あさひ学園教師やビジュアルアーツ教師を経て、1999年から不動産業に従事。山口県萩市出身。早稲田大学卒。

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