日本のサントリーホールは音響効果が優れた素晴らしいホールだ。その音響設計をした豊田泰久氏がウォルト・ディズニー・コンサートホールの同設計にも抜擢された。悪かろうはずがない。外観は前衛建築家、フランク・ゲーリー設計の銀色の奇抜なデザインで観光名所にもなっている。ホールの形も変わっている。卵を横に寝かせ、その底辺に当たる部分に舞台があるような造りだ。卵というよりノアの箱舟の形に近いかもしれない。マイクやスピーカーを使わないクラシックコンサートホールの場合、従来の長方形のホールでは、舞台で演奏された音は上に昇ったままで、なかなか客席の後部まで届かない。しかし、この卵型ホールでは舞台上の音は上に昇ってから広がり、豊かで美しい響きとなって観客席の隅々まで届く。おまけにフロアも壁も全部日本人にはおなじみの木でできているから、内部がすべて反響板になり、音響効果が増す。時として指揮者が演奏中何十回とめくる、分厚い本のような楽譜の紙擦れの音さえ聞こえてしまう。
観客席から見る舞台は遠い、遠い、別世界だ。照明が当たり、きらきら輝いて幻想的に見える。ところが驚いたことに、舞台から見ると、客席は意外に近い。両側、正面、それから天井桟敷まで、観客席の一人ひとりの顔が見分けられる程、近い。
舞台に立った我々は緊張の極にある。この日のために7カ月間、週1回、2時間半みっちりと練習してきた。仕事を終えてから行う、夜の2時間半の練習が辛くなかったと言えばウソになる。大きな仕事の裏には犠牲がつきものだ。費やした時間の成果を発揮する緊張の瞬間が迫る。一旦演奏が始まると、なぜか落ち着いてくる。自分の緊張や自我はたちまちのうちに消え去り、ただ、純粋にベートーベンの世界に入る。この曲で彼が言いたかったこと、届けたかったことを、彼の手足となり、使者となって聴衆に届けたい。その役割を助けてくれるのが、音を響きに昇華してくれるこのホールだ。音にこめた感情や情熱を、まるで自然に鳴った音のように、ため息交じりに漏らした言葉のように、そのまま素直に届けてくれる。音楽で人の心に直接話しかけられるような気さえした。
たとえ250分の1の合唱団員の私でも、世界のひのき舞台に立つ興奮は十二分に味わえた。大勢の仲間と76名のオーケストラとこの名曲を一緒に演奏できるチャンスはそうしばしば訪れるものではない。250人が思いっきり歌う声はパワーに溢れ、温かい。我々は一個の肉体から離れられないが、人間の声の渦に巻き込まれると、肉体から解放され魂が一緒に旅をするような感覚がある。あなたと私が溶け合うような。男声、女声、四声のハーモニーの渦に巻き込まれ、自分の声が一体となる快感。この世にはいろいろな快感があるが、合唱の楽しさも確実にその中の一つである。
音楽は、何世紀もの時空を超え、世界の人々に直接語り掛ける世界語だ。感情、感覚、感動を説明する必要がない。私の英語は文法が間違っていないだろうか、私の日本語は十分に丁寧だろうか、気を配りながら話す言語とは違う。素直に、包み隠さず、心の声を音に託して届ければよい。
日本人が第九を好きな理由は、我慢に我慢を重ね、大爆発する最後に向かってひた走る曲の流れにあるだろう。べートーベンが190年も前、彼の晩年に完成させたこの曲を、胸一杯に深呼吸し、心の奥の特別な場所に納める。日常生活の幸も不幸もみなこの秘密の場所でぐつぐつと発酵し、生きる糧となる。コンサートという異空間は我々の喜びも哀しみもすべてを包み、慰め、癒してくれた。
自分の声も心もありったけを出し切った高揚感の後に外に出ると、夜風が心地良かった。灯りの点いた林立する高層ビルが美しく映った。帰路、フリーウェイの両側を流れるロスの夜景をぼんやりと眺めながら、ゆっくりと現実世界に 戻っていく。生きる確かな喜びと力がどこからか流れて来た。
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