日本企業にまとわる無駄
文/在米日本人フォーラム(Text by Japanese Forum USA)
- 2017年11月7日
日本は昔から資源が乏しい国と言われてきている。しかし、ここで実は資源はいくらでもある、と言ったら誰もが怪訝な顔をするに違いない。これは事実である。ここで言う資源とは「無駄」である。つまりこの無駄をなくすことにより時間と金を創生することができる。こう言われると反論する人は少ないだろう。
今回は日本の企業にまとわる無駄について考えてみた。
日本の生産性が世界で21位(2012年OECD調査対象34カ国の内)、さらにG7の中では20年間連続最下位という話を聞いた。世界で名目GDP3位の日本がなぜこれほど低いのかを不思議に思い、答えを探してみた。これはおそらく労働時間に直結していると思う。つまり総生産量、GDPを総労働時間で割ってみれば簡単に出てくる数字だ。
昔から今に至るまで日本人の勤勉さは定評があり、日本人はそれを誇りに思っている。これは決して悪いことではない。それなくして戦後の目覚ましい復興はあり得なかったことを考えると、さすが日本、さすが日本人と思う。しかし、最近とみに叫ばれている長時間労働は少し行き過ぎているのではないか。
そこで少し目を転じてみよう。日本の自動車メーカーは一様に立派な成果を上げている。一方で、殆どのメーカーもサプライヤーも長時間労働をしているようだ。他方、アメリカの自動車メーカーはというと、日本と比べて彼らもそれなりの遜色のない業績と利益を上げている。ところが、米自動車メーカーもサプライヤーも長時間労働をしているようには全く見えない(と言うより、従業員は殆ど残業をしない)。
なぜ、という質問が自ずと出てくる。これにはいくつかの理由と原因があるように思える。一つは、日本のマネージメントの習慣が挙げられる。日本ではボトムアップといわれてきた。つまり下から意見、案、アイデアを上司に向けて発信し、それを上司が検討して結論を出すというやり方だ。生産の現場でQC サークルなどと呼ばれていたのが典型的な例だ。物作りの世界ではこれが大きな成果につながっていると思う。しかし、これがいつも良い結果を出しているとは限らない。その理由は、日本式経営体制の中では、責任という得体の知れないものだけが伴っているからではないだろうか。本来組織の中では、責任と権限は背中合わせに共存すべきと思うが、日本の経営体制の中ではこの責任のみが追求されるように思える。その結果、組織の中で自分が責任を取らされることを避ける手立てを常に講じておかなければならない。その責任回避手段こそが、他の人と責任を共有できる「ホウレンソウ」(報告、連絡、相談)なのだ。そしてそれが日本の生産性をここまで低くしている大きな要因の一つではないだろうか。そして、「ホウレンソウ」に費やされる時間と労力こそが、日本企業内の最大の無駄と思えるのだがどうだろうか。
アメリカ企業では、この「ホウレンソウ」とやらが極めて限定的だ。なぜなら、常に結果のみを重視する管理体制だからだ。従って結果に至るプロセスはさほど重要ではない。各社員は常にOwnership を持つことを要求される。ここで言うOwnership とは、会社の株を保有すると言った意味ではない。各社員が自分の職責に対し、「この仕事は私の仕事だ、私がやらねば誰がやる。」という自負を持って、仕事を遂行することを言う。自分で考え工夫して行動し、そして結果を出す、これがOwnershipと連結したAccountabilityなのだ。
少し責任について説明しておこう。ResponsibilityとAccountabilityは英語の辞書では共に「責任」と訳されるが、その責任の意味が大きく異なる。Responsibility は、事柄や決定に対してのこれからの責任の所在を表すのに対して、 Accountability は決定や行為の結果に対する責任、またその説明をする責任を表す。もっと簡単に言うと、「Responsibility: 何かをする責任」、「Accountability: 結果に対する責任」となる。従い、Responsibilityは他の人と共有することが可能だが、Accountabilityは他の人と共有できないという点が、この二つの単語の大きな違いと言える。この二つの責任のあり方において、日本ではResponsibilityが重く問われ、アメリカではAccountabilityが重視されるという、経営・管理体制の違いを理解できると思う。そして、Accountabilityには「ホウレンソウ」をさほど伴わないことも分かってもらえるはずである。
アメリカに進出した日系企業のマネージメントは、いつも米人社員にResponsibilityという責任を要求する。これは得策ではない。Responsibilityという責任をとれない後について来るものはPenaltyだ。これは負から始まり負に終わるマイナス思考と言える。一方で、前述のOwnership を持って行動した結果がAccountabilityという責任となる考え方は、ポシティブな考え方で、アメリカ人には受け入れ易いし、良い結果を期待できる。面白いことにこの経営方式を採用すると、既述のとおり「ホウレンソウ」を大幅に減少させることができる。ところで、Accountabilityを重視する経営で、見落としてはならないことがもう一つある。それは権限の委譲である。つまり、責任と権限は常に一体として、仕事を託した人に付与されなければならない。私がアメリカの大企業で職を得た直後、上司に経費の制限を聞いた。その答えは至極簡単であった。「俺はお前の判断に任せる。」だけだった。
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