根を詰めた仕事が長く続いた後は、疲労が蓄積する。身体的な疲労と、心的な疲労と。もう体と気持ちの許容量が一杯になり、我慢できない。そんな時は旅に出たくなる。旅は、自分の日常を忘れさせてくれる。旅先の違った風景を見ると、飽きあきしていた自分の生活がまた、新鮮に感じられる。思ったほど悪くはないと、改心するものだ。
旅に出ることが叶わない時、それとは別の疲労回復方法を誰でも持っていることだろう。親しい友人とおいしいものを食べ、思いっきりおしゃべりするのもいい。これは結構効果的で、体の中に溜まったおりを吐き出してスッキリできる。聞いてもらえる、信頼できる相手があればこそだ。
私の場合は、庭の草むしりが最高の息抜きである。なんとまあ、ささやかなと笑われそうだが、正直、私にはこれ。自然に体や心のしこりが取れ、本来の自分に戻れる。電話がかかって来ない日、メールが少ない日は庭仕事の日だ。
特に冬の朝、朝日が差し始める時が最高だ。朝の冷気が肺の奥まで染み込み、体の芯がシャッキリする。厚手の柔らかいズボンを履き、そのまま地面にひざまずく。素手で雑草を抜く。手に土の冷たさと湿気が伝わってくる。これが好き。
今、世の中は激変しつつある。情報は一瞬のうちに世界をめぐり、ハイテクが人間の仕事を奪う。人はどこに行ったのだろう。どこに新しい職場があるのだろう。私たちの慣れ親しんだ人のいる日常生活は無人のそれに変わり始めた。これが本当に私たちが求めた未来社会なのか。ハイテクが人間を払拭する世の中だからこそ、変わらぬ自然のテンポに安心する。太陽に当たれば体が緩み、土の冷たさに触れれば生きていると感じられる。真綿のように優しい太陽熱。数日前に小雨が降っていればなお良くて、雑草が根まですーっと抜ける。その嬉しさと言ったらない。
一心に草むしりをしていると、やがて思考がタイムスリップして、あれやこれやのさまざまな思い出が蘇る。こんなに草花を育てるのが好きなのは、おそらく母の影響だろう。生まれ故郷の山口県萩市の家に、猫の額ほどの小さな庭があった。母はそこに鯉が泳ぐ小さな池を作り、その周りにたくさんの菊を育てていた。ある時、白いマーガレットの一枝をくれ、それを挿し木にする方法を教えてくれた。といっても短く切って、土に挿しただけ。初冬で雪も降るから、当時、牛乳が入っていた小さな瓶を逆さにし、挿し木にかぶせた。そうすれば雪から守られ、太陽熱で中が暖まり死なせずに冬を越せると教えてもらった。その年の冬は大雪になり、牛乳瓶のことなどすっかり忘れてしまった。
春になり、ふと畑の中に汚れた瓶が斜めに立っているのを見つけた。まさかと思ってその瓶を取ると、なんとその中にマーガレットが1本まっすぐに立っているではないか。あんなに大雪が降ったというのに。その時の感動は今でもありありと思い出す。マーガレットはそれから大きく育ち、春から夏にたくさんの花を咲かせ続けた。驚異的とも言える自然の力を信じる原体験となった。
もう一つはバラである。老木のバラを移し変えようと引っこ抜き、重すぎて動かせなくなり、1カ月も裸の根を陽に晒したままだった。なのに、裏庭に植え替えると生き返った。立派な大輪の深紅の花が無数に咲いた。強く美しく甘い匂いを放つが、油断すると棘に手を刺される。指の関節に刺さり、化膿して3カ月も指が曲がらなかったことがある。こちらの体力が衰えていた証拠だが、バラは美しくてなおかつ危険な花の女王である。
坂になっている裏庭に昔、大きな松の木が5本あった。成長しすぎて風の吹く日は危険なので、ある冬、全部切り倒すことにした。高い木のてっぺんに登った木の専門家が上から細切れに幹を切ると、それがドーンという音を立てて落ちてきた。払われた枝も大きな音を立ててバッサリと落ちてくる。その間中、責められているような気持ちになり、まるで木が泣いているように聞こえた。その枝を黙々とトラックに積み込む男性が3人いたが、誰も手袋をしていなかった。素手だ。松は荒々しく棘がたくさんあった。手に刺さって痛かったに違いない。どうして自分は彼らに手袋を買って来てあげなかったのだろう。いつまでもその時のことが悔やまれる。私の心に棘が刺さる。何も考えていないようで、考えている。何も感じていないようで、感じている。庭で過ごす時間の不思議さである。
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