若き日に灼熱の地、ラスベガスに10年住んだが、心底ベガスが好きだった。外国から来たよそ者にはまず、そこで生計が立てられるかどうかが一番肝心なことだ。ベガスはその点では合格だった。24時間眠らない街だから、ホテルの仕事なら職種を選ばなければどのシフトでも働ける。日中、午後から夜、そして夜中から朝まで、どんな時間でも。夫婦共稼ぎでコツコツと働き、ひたすら貯蓄に励めば結果が数字に表れる。英語が話せないのだから、肉体労働しかない。汗水たらし、無我夢中で働いた肉体労働の代価は誇らしかった。労働を提供し、その代価をお金で支払ってもらうことを体で知った。おまけに健康保険は完備しているし、州税はタダだし、休日は周囲に広がる砂漠に飛び出せばいい。40年前のレイクミードは満々と水を湛え、夏はこの水辺で過ごした。目前に広がる風景は浮世離れした広大な風景で、日本ではありえない風景だったから、外国に来たというセンチメンタリズムを十分に満足させてくれた。冬は車で45分の雪のマウントチャールストンにドライブし、朝から晩までひたすら滑った。地元の人しか来ないまるで貸し切りのようなスキー場では、我々以外にアジア人の姿はなく目立った。夫は新潟出身だから、スキー板をはいて生まれたと冗談を言うほど自由に動け、スロープで転倒した人を助けていた。皆、彼をスキーパトロールだと思っていた。
次に転居したパームスプリングスも、とても気に入っていた。LAから車で2時間の富裕層の避寒地だが、田舎町独特の素朴さが好きだった。人々は親切でおおらか。レストランの隣席で、映画やテレビで顔見知りの俳優やスポーツ選手がプライベートの時間を過ごしていても、決して邪魔をしないという暗黙のルールがあった。彼らが日常の姿に安心して戻れる場所だった。
ここの冬の真綿のような暖かさと夕暮れの美しさは格別だ。娘が通っていた小学校は丘の中腹にあり、運動場から山脈が180度見下ろせた。夕方になると学校まで二人で散歩し、暗くなるまでそこで過ごした。夕日が山の向こうに沈むと、空はあのたらちねのようなピンクがかった乳白色になる。残光で山脈がラベンダー色に変化する美しさは例えようがない。草木一つない山脈が織りなすひだの陰影の複雑な美しさに息を呑んだ。大きな宇宙の真ん中にポツンといるような感覚を味わえた。それから空はティファニーの水色になり、だんだんと紺青に染まリ、漆黒に包まれる。
友人の一人は気象観測官のアメリカ人と結婚し、最初に赴任した先がアラスカだった。外出できない極寒の冬がやっと終わり、夏になると、今度は蚊の大群と戦うのだそうだ。家から一歩出ると鼻の穴にも蚊が飛び込んでくる。息を詰まらせて住民の娯楽に映画を上映してくれる体育館まで走った、などとおもしろおかしく話してもらった。東京から来てあまりの生活環境の違いにショックを受けたが、自分がここで何ができるかを考え、現地の小学校で算数を教え始めたという。二人で笑い転げながら、この人とは友だちになれるな、と思った。誰かの役に立とうとする姿勢に惹きつけられた。以降四十年来の親友である。
ラスベガスでもパームスプリングスでも、そこに骨を埋めてもいいと思った。それぞれ良い所がある。素晴らしい友人がいて、おもしろいことがたくさんできた気がする。
今はロサンゼルスに住み、花づくりに夢中だが、どこででも幸せを見つけられる。巣を作り子どもを育てるのがメスの本能で、巣を守るのがオスの本能なら、地球上のどこでも、愛する人のそばで幸せを創れるということになる。暑くても寒くてもいい。人の胸の中が自分の居場所なのだから。何かを、誰かを愛する時、その土地が好きになる。どんな所でも住めば都となる。
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