2019年5月現在、ブロードウェイのミュージカルでもっともチケットが高く入手困難な『ハミルトン』。2016年トニー賞11部門を受賞した2時間55分の超大作だ。アメリカ合衆国の初代財務長官であるハミルトンは10ドル札に印刷されているので、その顔をご存知の方も多いだろう。今回はこのミュージカルにちなんで、ニューヨークとその近郊のハミルトンゆかりの地をご紹介したい。
このミュージカルの舞台は18世紀後半、アメリカがまだ植民地の時代。西インド諸島から移民としてニューヨークにやって来て独立戦争を戦い、初代財務長官としてアメリカの礎を作り上げ、決闘により命を落とすアレクサンダー・ハミルトンの生涯を、初代大統領ワシントン(1ドル札)、第2代アダムス(2ドル札の裏面の一人)、第3代ジェファーソン(2ドル札の表)と副大統領アーロン・バー、第4代マディソン(5000ドル札)とのやりとりを交えながら描いた作品だ。
なにやら歴史もので堅そうな内容に聞こえるかもしれないが、ミュージカルらしい音楽にラップやヒップホップを取り入れたり、ワシントンやジェファーソンを黒人俳優が演じたり、米国初のセックススキャンダルが描かれていたりと、笑える小ネタもふんだんに取り入れられている。興味深く、画期的かつエネルギッシュに、激動のアメリカ建国時代を分かりやすく描いた作品なのだ。
学び、励み、そして眠るニューヨーク
さて、建国に際し大きな役割を果たしたハミルトンは、アメリカを愛するだけでなく、ニューヨークが大好きだった。「ペンは剣より強し」を地で行った彼は、当時ロウアーマンハッタンにあったキングスカレッジ(現在のコロンビア大学)で誰よりも早く、誰よりも多くのことを学んだといわれる。
そのロウアーマンハッタンにあるフランシス・タバーン(Fraunces Tavern)は、かつてハミルトンら建国の志士が集い、熱い議論を交わしたマンハッタン最古の酒場。現在も営業しており、1階のレストランでは食事やお酒を楽しめる。2階は独立戦争の歴史を伝える博物館で、観光客向けのウォーキングツアー(英語)も行われている。独立戦争に勝利した後、ジョージ・ワシントンが部下の将校たちに別れを告げたというロングルームには、歴史の息吹が感じられる。
ハミルトンは金融街にニューヨーク銀行を創立し、その跡地はアメリカ金融博物館となっている(災害による建物の劣化で2018年から休館中)。ちなみに独立戦争後にハミルトンが住んだ家の住所は、“57 Wall Street, New York”。それを記念するものは残されていないが、金融博物館の向かいにあたる。そして、ハミルトンと最愛の妻イライザ、その姉アンジェリカ、ハミルトンと同様に決闘で亡くなった息子フィリップが眠るのが、トリニティ教会の墓地。ミュージカルの大ヒットにより、ハミルトンのお墓を見ようと、全米はもとより世界各地からの観光客が訪れる。
決闘に敗れたウィーホーケンの地
ハドソン川を挟んでマンハッタンの対岸にあるニュージャージー州ウィーホーケンにも、ハミルトンゆかりの地がある。ハミルトンと当時の副大統領アーロン・バーの決闘の舞台となった場所だ。19世紀初めのニュージャージー州は、“Everything is legal”と言われるほど何でもありの場所。結果、アーロン・バーはハミルトンを射殺してしまう。
ハミルトン、わずか49年の生涯。早朝に決闘が行われたという場所は、今ではマンハッタン行きの通勤バスが頻繁に通る商業施設の一角にあり、二人が銃を持って対峙する銅像が設置されている。
その西側に広がるこの地域独特の崖の上には、ハミルトンの名を冠したハミルトン・パークがある。マンハッタンの息を呑むような夜景で有名な場所で、ツアー客が毎日訪れる。その公園の最南端には、ハミルトンの彫像が設置され、その下には銃弾に倒れたハミルトンの頭を乗せた石が置かれている。
ニューヨーク近郊にはゆかりの地が多数
ニュージャージー州モリスタウンは「米独立戦争の軍事首都」と呼ばれ、ワシントン将軍と大陸軍の作戦本部や砦が保存され、アメリカ初の国立歴史公園に指定された。公園にワシントン、ハミルトン、ラファイエット侯爵が会したことを記念する彫像があったり、ハミルトンがイライザにプロポーズをしたスカイラー・ハミルトン・ハウスが残されていたり、町全体が歴史地区のような風情である。
このほかにも、ニューヨーク州の州都オルバニーでイライザがハミルトンに休みをとって一緒に過ごしてほしいと言った家、この壮大かつユーモラスで人生について考えさせる偉大なミュージカルを作りだしたリン・マニュエル・ミランダが、今でも住むマンハッタンの北部ワシントン・ハイツなどなど、ニューヨーク近郊にはハミルトンゆかりの地が数多くある。
一方アーロン・バーは、ハミルトンを殺した人間としてアメリカ史に名を残すことになる。二人が出会ったころは、バーはハミルトンが教えを乞うような秀才であったが、年月を経るうちに立場が逆転し、政敵となっていく。ミュージカルでは、バーがハミルトンに対して複雑な思いを抱いていたことが繊細なまでに描かれている。
ペンシルバニア州ニューホープにあるアーロンバー・ハウスというB&Bは、かつてバーが逗留していた邸宅。ニューホープはニューヨークから車で2時間ほど、ニュージャージー州との境にある町で、しゃれたレストランやカフェ、アンティークショップがあり、ニューヨークからのウィークエンド・ゲッタウェイにぴったりの場所だ。アーロン・バーの人生に興味のある人は、このエレガントなB&Bに泊まり、ドライブの道すがらニュージャージー州プリンストンにあるバーのお墓を訪ねるのも興味深いだろう。
ハミルトンという若く貧しく粗削りな移民が、上昇志向でハングリーに突き進んでいく姿は、現代のアメリカの移民の姿にも通じる。絶対的なリーダーであるワシントン、マイペースなアダムス、良家出身でいいとこ取りのジェファーソン、その相棒マディソン、ことごとくハミルトンと対立するアーロン・バー。アメリカ建国時代の政治家の人間模様は、どことなく日本の幕末を思い起こさせ、ハミルトンが坂本龍馬のような役割を果たしたのではないかと思えてくる。
現在このミュージカルはニューヨーク以外でも、シカゴ、サンフランシスコ、ロンドンで上演されている。全米各地へのツアーも行われている。ミュージカルを観て、そしてそのゆかりの地を訪れてハミルトンを知ることで、人生にやり残したことがないように、もっと自分も頑張らなければと鼓舞される思いである。
この記事が気に入りましたか?
US FrontLineは毎日アメリカの最新情報を日本語でお届けします