第71回 飾り窓
- 2019年12月7日
- 2019年12月号掲載

クリスマスデコレーション
年末のホリデーシーズンが近づくと、なんとなく寂しくて、人恋しくなる。花も散り、枯れ葉が舞い落ちた裸の木々が寒々しい。その日が曇天であれば、体も心も冷えびえする。そんな時、明かりの点った窓は私たちの心を惹きつけ、どこか遠い夢の世界にいざなう。
クリスマスになると、私には決まって思い出すものがあった。それをいつか見てみたいと、密かに憧れていた。それは、ニューヨークの百貨店のショーウィンドウのクリスマスデコレーション。年末ともなれば映画やテレビで、この飾り窓の世界がヒロインたちの憧れとして何度登場したことだろう。信じられないような美しい世界がそこにあるにちがいない。一度でいい、見たい。見たら、目の奥の金庫に大切にしまおう。それから、くる年もくる年もクリスマスには金庫の蓋をそおっと開け、ドキドキしながら、記憶の底から夢の世界を取り出すのだ。
それが昨年12月、偶然にも、とうとう実現した。本来のNY行きの目的は、カーネギーホールでベートーベンの第九『歓喜の歌』を、世界から集まったシンガーと一緒に歌うためだった。そのことに夢中で、ほかのことは忘れてしまっていた。合同練習後に仲間と一緒に、夕食を取りにロックフェラー広場に行こうということになった。
ホテルからタイムズスクエアを目指して数ブロック歩き始めると、あちこちの通りから人が溢れるように流れてくる。流れてくるという表現がぴったりのように、大勢の人が粛々と歩いてくる。流れはどうやら同じ方向を目指しているようだ。歩調を合わせてゆくと、やがて、ロックフェラーセンターにたどり着いた。
12月早々の週末だったから、まあ、大勢の人でごった返していること。先に進めないほどの押し合いへし合いの人波を経験するのは、米国では珍しい。そのうえ、人種のるつぼの醍醐味で、文字通りありとあらゆる人種の集合。ドイツ語、スペイン語、フランス語、そのほか理解できない諸々の言葉が飛び交う。NY 市の警官もあちこちに見え、心強い。こんなところでテロが起これば大惨事になる。このカオスが醸し出すエネルギーをなんと例えよう。大げさにいえば、地球上のすべての人と一緒にいるような高揚感だ。
皆が上を向いている。あった! 大きな、大きな燦然と輝くクリスマスツリーが。巨大なモミの木は七色の豆電球に彩られ、天辺には、ひときわ眩しく輝く銀色の大星。これがアメリカ一のクリスマスツリーだ。あの星がアメリカを照らす希望の星だ。群衆の一員であることだけで、幸せな気分に包まれた。
と、賑やかな音楽が響いて来た。後方の巨大なビルの壁全体に、お城をテーマにした照明が色とりどりに映し出されている。踊り出したくなるような音楽に合わせ、自由自在に色と形を変える。ああ、これがSaks fifth Avenue 百貨店のデコレーションだ。吸い寄せられるように大衆はゆっくり建物に近づく。ショーウィンドウが見えてきた。皆の目がピッタリ釘付けになる。長い間憧れ続けてきたものが目の前にあった。
「夢の劇場」と名付けられた飾り窓。そのなかの一つは、ピンクに染まった幻想的な部屋。床から天井まで、ピンクの箱のプレゼントで埋め尽くされている。真っ赤なクリスマスツリーに囲まれ、柔らかな部屋着で長椅子に寝そべる女性はダンサーのようだ。どんな夢を見ているのだろう。ピンク色の世界に私は呆然として引き込まれた。こんな世界もきっとどこかにあるに違いない。生きることはなんて素晴らしいのだろう。私の知らない世界へいつか行けるだろうか。
人にはそれぞれ違った夢がある。憧れがある。夢に見た世界は、現実になるかもしれないし、ならないかもしれない。しかし夢を見なければ、それは決して自分のものにはならない。
立原道造作詞の『夢みたものは』という甘くせつなく、清らかな歌がある。「夢みたものは、ひとつの幸福、願ったものは、ひとつの愛」と続く。立原道造は、24歳という若さで早逝した。若く純真な魂はひとつの愛だけを願った。
まったく違う夢もあるはずだ。夢に優劣はない。人それぞれに、願うものが違うのだから。夢を描くのは自由だし、憧れ続けるのも自由だ。
クリスマスは、家族や身近な人との愛を抱きしめると同時に、胸の奥の見果てぬ夢を決して手放さないと、自分に誓う時でもあるのではなかろうか。
誰に言う必要もない。あなたが、自分にささやき続ける。夢はいつか実現できると。飾り窓に見入りながら、窓のむこうの世界へ迷い込む。
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