コロナ禍の3カ月の自粛生活は、私たちそれぞれに、自分の忙しい生活を今一度振り返る良い機会となった。私は何を求めてこんな忙しい毎日に明け暮れているのだろうかと。
最初の1カ月はコロナ感染防止のため家に引きこもり、社会のすべての活動が中止するという前代未聞の事態になった。ところがこれが一面、嬉しかった人もいたのではと想像する。私もその中の一人だ。一日中、仕事の電話がかかってくる私には、電話が鳴らない静かな毎日はまさに安息の日々だった。仕事の性格上、いつ何が起こるか分からない。心臓の止まるような電話を受けたこともある過去の記憶から、電話が鳴ると一瞬のうちに緊張する。これから解放された1カ月は、まさに天国に一番近い1カ月だった。
リタイヤした凄腕ビジネスマンに、何が一番嬉しいですか、と聞いたことがある。「何が嬉しいって、もうプレッシャーがないことだよ。売上達成とか、結果を出すとか、悩まなくて良い。天国だよ」と、しみじみ言われた。目尻に刻まれた深いシワに、彼の耐えた積年の重圧を思った。この解放感一杯の引退者生活の幸せを、今回、短期間でも体験できた。
さまざまな識者がコロナ禍の中で、上手な忍耐生活の知恵をさずけていた。家の片付けと掃除。手料理を楽しむこと。読書。園芸。それらは普段からやっていますと言いたいところだが、忙しくなるとつい怠るのが庭の手入れである。
就寝前の好きな時間に、絵本作家のターシャ・テューダーの庭の写真集を見ることがある。素朴なスローライフの世界に癒やされる。ターシャは92歳で亡くなるまで、100冊近い本を出した絵本作家だ。『マザーグース』『若草物語』の挿絵も描いた。それ以外にもう一つ有名なのは、彼女が造り上げた庭だ。バーモントの山奥、コーギーコテージと呼ばれる家の周辺に造った広大な庭。自然に溶け込んだ庭はそれはそれは素晴らしく、世界中のガーデナーの憧れといわれている。4人の子育てを終え、57歳の時、バーモント州マールボロに30万坪の敷地を買い、一人でコツコツと造り上げた。
バーモントといえば寒いし、雨も降る。決して気候の良い所ではない。夏はたったの2カ月余り。彼女は電気も水道もない家で、暖炉、薪オーブンで自給自足の生活を送りながら、絵本を描き、庭を造った。思いつくままに造って広がったようなこの庭が、雑然としているようで周りの自然の野花と調和し、自然な華やぎがある。誰のためでもない、自分だけの庭。バラやシャクナゲが咲き誇る6月を、彼女は「輝きの庭」と呼んだ。
ターシャは芸術家扱いされることを嫌い、「私はただのコマーシャル絵本作家です。皆さんに思われているような完璧な人間ではありません。生活のために絵本を描いているだけ。生活費を稼がなければ。収入で今度は何の球根を買って、どこに植えようか考えるのが楽しいの。もっとも、せっかく植えた球根も、その3分の1は森の動物たちに食べられてしまうのよ。石垣周辺に植えた球根はヘビに食べられて全滅よ」などと言っている。森の中に住むには、それなりに異なる難問が発生するようだ。現実にもしっかり向き合い、そのうえで自分の好きな世界を追求した独立独歩の人。物事の本質を見抜いた単純明快な意見を言う。
人形劇のミニチュアセットや人形もすべて手作りで、こどもたちに上演していたそうだ。母親のためにコーギーコテージを造った息子のテオは、「彼女は一日中、朝から晩まで働いていた。僕たちが寝た後も、何か作っていた」と言っている。勤勉で忍耐強く手作業が好きで、何でも作れる器用な人だったのだろう。絵を描くのは収入を得るため、ときっぱり言う生活者の言葉に共感する。山奥で、他人の思惑を気にせず、自分が美しいと思うものを頑固に信じ、私は私を貫いた。その強靭な独立心も世界中の人々を魅了する一因だろう。
昔、その庭を見るツアーがあると聞いて、行きたかったことがある。夏の週末のみ限られた人数のみで、売り出すとすぐに売り切れたプレミアムチケットだったらしい。私は子育て真っ最中で、経済的にも余裕がなく、ターシャの庭を訪れるのは夢のまた夢だった。しかしその憧れがあったからこそ、いつかあの人のように生きたいと絶えず働き続ける原動力になった。努力し続ければ、その日が手に入る可能性の中にいる。
どんな望みでも良い。仕事を持つこと、愛する人がいること、希望があること。輝いて生きるために大切なことではないだろうか。自分の幸せは、自分で創ると覚悟を決めて。
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