私たちは皆それぞれ趣味を持っている。コロナ禍の巣ごもり生活の間に、鉢植えやベランダ菜園を始める人の数が増えたというニュースを聞いた時、園芸好きの私は仲間が増えたことが嬉しかった。世界がこんな大危機に直面していても、植物はわずかな土と太陽と水さえあれば、まるで何事も起こらなかったかのように、いつものように芽を出し、花を咲かせ、実をつける。それを見て、植物がちゃんと育つのだから人間はこの危機をきっと乗り越えられると、なんだか勇気づけられた。
若き日、ラスベガスに10年間住んだ。カラッカラの砂漠だが、春になると、一滴の雨さえ降らないのに、地面を這うように可憐な黄色い野花が一面に咲く。砂漠の冷たい風に身を震わせながら、誰にも見てもらえないのに全力で咲いている。その健気な姿に何度元気づけられたことだろう。アメリカの大自然の中に佇む時、いつも勇気が湧き起こる。
反対に、たくさんの人と一緒に何かをするのも好きな趣味の一つだ。11年前に仕事上の義理で参加したコーラスだったが、今では生活の一部となった。合唱仲間として千差万別の友人ができた。合唱は何十人も集うから、中には思いもよらず若くして亡くなる方も数名あった。訃報を聞いた時はその死が信じられず、やがて命の儚さが身にこたえた。一日一日の時間の大切さと、一緒に歌えたことが貴重な思い出となった。感動と喜びは仲間がいると倍加する。混声合唱団だから、ソプラノ、アルト、テナー、バスと4つの異なった声が、自分の持ち場の音をしっかり歌わなくては美しいハーモニーは作れない。耳を澄まし、仲間の声を聞きながら、目は楽譜を追い、緊張しながら自分のパートを歌う。上手に歌いたいのは、自分のためではなく仲間のため。そうして一つの音楽を作る過程の間に、かけがえのない仲間になる。
音楽はまた、プロとアマが交流できるのが良い。実力の差は気が遠くなる程だが、音楽を愛する心は共通だ。友人の知り合いにあやねさんというニューヨークベースのビオラ奏者がいる。彼女はほかの3人の女性とAIZURIカルテッドを結成している。バイオリンのみほさんとエマ、チェリストのカレン。彼女たちはカーティス音楽院出身の精鋭の一流音楽家たちである。AIZURIという変わった名前は、なんと版画の藍摺から命名したのだとか。江戸時代の藍色の版画のことだ。英語しか話さない彼女たちが、藍摺と命名したその気持ちが嬉しい。一気にファンになった。あやねさんはLAに来た時は、我々のコンサートの受付を手伝ってくれた。
彼女たちの演奏は凄い。剃刀の刃のような音の切り出し。演奏中の緊張感、シャープさ。踊るような喜び、深い悲しみ、そのすべてを自由自在に音で表現できる。音楽にすべてを懸けてきた若者たちの凄さである。2017年、大阪で催された世界室内楽コンテストで、米国代表の彼女たちがなんとグランプリを射止めた。賞金は破格の10万ドルである。その後、彼女たちの出したCDはグラミー賞候補にもなった。みほさんは、日本のピアニスト・辻井伸行さんがNYセントラルパークで演奏した時、彼を支えるバックの室内管弦楽団でコンサートマスターさえ務めた。強く優しく、辻井さんの演奏をサポートしていた。
私も2年前に女性2人、男性2人、1人のピアニストでユニットを結成した。年齢も職業も人生のステージもまったく違う5人だ。共通点は音楽だけ。忙しい生活のスキマ時間をやりくりし、わが家のピアノを囲み練習を重ねた。だんだんと結束ができてまとまる。合唱団のサマーコンサートやクリスマスコンサートで完成した曲を披露した。『アルビノーニのアダージョ』という古風で美しいオルガン曲を勝手に皆で編曲し、混声四部の歌にした。舞台衣装は男性はタキシード、女性は手作りの派手派手イブニングドレス。お遊びでも真剣だ。真剣だから、ますます楽しくなる。この先のプランもあった。
しかし、愉快な仲間はコロナのために今、散りぢりになる。それぞれが新しい未来へ出発する。長年の米国生活を切り上げ日本永住帰国する人、ロンドン転勤になった人、僧侶になるために高齢をものともせず京都で1年間、スマホもPCもない全寮制の学校に入る人。皆、目的意識を持った素敵な人たちばかりだ。そんな大切な仲間にはさようならとは言いたくない。私のお別れの言葉はこうだ。
「きっとどこかでまた、会いましょう。お元気で。じゃあ、またね」
楽譜の音符が滲んで見える。
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