バトンを持って走る

フラワードレス

昨年から今年初めにかけて、我々世代のオピニオンリーダーや、アイドル的存在だった有名人が数多く亡くなった。文学では瀬戸内寂聴、大江健三郎、音楽では坂本龍一、ファッション界ではケンゾー、三宅一生、森英恵などなど。我々の生きてゆく世界を彩り、先導してくれた人々が逝った。彼らが今、この時代に私たちと共に、どこかで生きていると思うだけで心強かったものだ。大げさだが、私の世代の希望の星であり、生きる姿勢を示してくれた人々だ。命の終わりはいつかは誰にも訪れる。が、影響を受け続けてきた人の逝去のニュースには、いつも衝撃を受ける。魂レベルの親友を失ったような喪失感だ。親友がいなくなったこの世で、より良く生きたいという思いが一挙に萎えてゆくのは私だけだろうか。人に影響を与える人々というのは、貴重な存在と言わねばならないだろう。

同時に思うのは、それだけ自分が年を取り、私の死が目前に迫っているということでもある。生まれて死ぬその当たり前の道程の最後に、今、私は来ている。若い時は、他者の死は遠い世界の出来事に過ぎなかったが、今はもうすぐ自分にも訪れる現実となった。他人の死は死ではない。自分の周りの人の死だけが死なのである、と言っているのは養老孟司だ。

社会経験も常識も十分備えた熟年と期待され、人々を先導すべき年齢になってしまった。地域社会にある団体の責任者に請われることもある。今まで、誰かがその役目を引き受けてくれ、今度は自分の番が来ただけだ。しかし人間はわがままなもので、頼まれる側になってみると、なんとかその役目を逃れたい。働き尽くし、ゆったりした時間をこれから楽しみたいと思っていたのにと、密かに不服を言う自分が情けない。

が、受けた恩は何らかの形で返さなければならないのは当然だろう。その役目を果たせるかどうか自信はないが、頼んでくださった方は私に希望を託されたのだから、応えなくてはならない。

それは、運動会のリレー選手に選ばれたことに似ている。この区間はあなたにバトンを渡しますから走ってください。区間の最後に次の人があなたを待っていて、今度はその人が走りますからね、と。そう言われたら、素直にバトンを受け走り出さなければいけない。先頭でバトンを受けたのに、途中で転んでビリケツになってしまうかもしれない。気持ちだけ焦り、足がもつれて転ぶ。ありうることだ。しかし、転んだら立ち上がって、落ちて転がるバトンを拾い、もう一度走り出すだけだ。ビリケツになる屈辱を味わったら、次に私のバトンを受けた人がきっと私の悔しい胸の内を思い、それをバネに巻き返してくれるだろう。バトンを握って走ってみよう。そう決心すると、モヤモヤがスッキリと晴れた。

頼まれたことは、所属する合唱団の運営委員長の役割だった。1年間の合唱団の練習、数回のコンサート、他団体との合同演奏、イベントの出演、税申告、寄付の申請などなど全体の動きを見守り、会の円滑な活動を陰で支える。それぞれの役割を背負ってくれる委員仲間と協力することも大切だ。一人では何もできない。

今年は過去13年間努めていただいた指揮者が日本に帰国され、新しい指揮者を探さなければならなかった。練習日もスケジュールも変わり、合唱団の存続さえ危ぶまれた。だからこそ、誰かが「大丈夫、船を漕ぎ出しましょう」と不安を押しのけて先導しなければならない。どんな困難が待ち受けているだろう、途中で転覆するかもしれない、船はどこにも行き着かないかもしれないと、不安だらけだ。でもその恐ろしさに耐えながら、向こうに待っていてくれるものを信じて漕ぎ出さなければならない。

同じ頃、親友の一人から電話を受けた。彼女はカラカラの砂漠の町に40年も住みながら、信じられないほどのみずみずしい短歌を創り続けている。20名ほどの会員を抱える短歌の会の主幹の依頼を受け、引き受けるかどうか迷っていた。会員の方々が創った歌の指導ができるだろうかと悩んでいた。私は迷わず、引き受けるべきだと答えた。

私たち老友は、やっぱりバトンが手元に来てしまったね、覚悟を決めてバトンを持って走ろうよ、と互いを励まし笑い合った。あなたも、もしバトンが手元に来たら受け取って走り出してくださいね。

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樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

ライタープロフィール

カリフォルニア州オレンジ郡在住。気がつけばアメリカに暮らしてもう43年。1976年に渡米し、アラバマを皮切りに全米各地を仕事で回る。ラスベガスで結婚、一女の母に。カリフォルニアで美術を学び、あさひ学園教師やビジュアルアーツ教師を経て、1999年から不動産業に従事。山口県萩市出身。早稲田大学卒。

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