
Photo by Izumi Hasegawa / HollywoodNewsWire.co
スコット・イーストウッドの存在を初めて知ったのは、2013年の映画「Texas Chainsaw 3D」だった。出演者クレジットにあった「Eastwood」という名前が目にとまり、調べるとクリント・イーストウッドと一般人女性の間にできた息子だと分かった。同作のインタビューで二世俳優と言われることに抵抗感を抱きつつも、父親ネタが自身のキャリアに有効なのを理解している様子だったのを覚えている。
それから数年、着実に出世の階段を上がってきた彼は、昨年、恋愛小説の大家ニコラス・スパークス原作の「The Longest Ride」の映画化で主役の座を射止めた。これから話題作の主役をどんどん務めるのでは? と思っていたが、そんな予想を覆し、話題作の脇役をどんどんこなしている。
新作映画「Snowden」では、主人公スノーデンの上司に扮したスコットに単独取材できるとあり、生い立ちや父親との思い出について突っ込めると期待してインタビューに臨んだ。
ネットでは「ハワイ育ち」とあるが、会う度にカリフォルニア人にありがちな「フレンドリーに見えて、実際は距離を置く」という印象を持っていた。今回、筆者の感覚は間違っていなかったことが分かった。
「ハワイで育ったのは、母と一緒に住んでいた10歳から15歳の間だけ。幼少時代と高校時代は、生地のカリフォルニアで父と一緒に住んでいた。小さい頃、父がサーフィンに連れて行ってくれて、最初のサーフボードも父からもらったんだ」
生粋のカリフォルニア産サーファー・デュードだったのだ!!
両親からのアドバイス
のべ5000人以上のタレントに取材してきたが、インタビュー中に堂々とあくびをするタレントは珍しい(独占取材の直前にあったグループ取材でもスコットは悪びれることなく、何度もあくびをしていた)。マナーに厳しい土地で育ったタレントには絶対にない態度だ。ヒッピーで自由気ままな風潮のあるカリフォルニアで、多忙な父親の下で育ったスコットを少し心配してしまう。両親からどんな人生のアドバイスをもらったのだろう。
「母からは『とにかく正直でいなさい』って教えられた(あくびは眠いのを正直に伝えているってことか?)。彼女は常に良い人間であろうとし、他の人を第一に考える人。父からは『どんな職業に就こうとも、上手くやりなさい』と言われた」
偉大な業績を残した父親と同じ俳優という職業を選ぶのは大きなプレッシャーだ。親の七光りを使うことを最初は拒否し、実名のリーヴスでデビューしたスコット。しかし、ある時点から名前を「イーストウッド」姓に変えた。
「駆け出しの頃は、実力でどこまで行けるか見てみたかったんだ。名前を聞いただけで、みんなが何かを考えてしまうのを恐れていた。でも、自分で実際にやるようになって気づいたんだ。父親が誰だろうと関係ない、オーディション次第だってことにね。彼らがぼくを気に入ってくれたら、時間通りに現れ、一生懸命やる。ほかの職業と変わらない。それだけだってことに気づいたんだ。ちゃんと仕事をこなさなければ、周りの人と仲良くできなければ、次はないってね。だから、父の名前を使うことにした。実際に血が繋がっているんだし、それを引き継ごうってね」
親の七光りをちゃっかり利用
スコットの俳優デビューは父親の監督作「Flags of Our Fathers」だった。クリントが主演・監督を務めた「Gran Trino」に出演後から、名前をイーストウッドに変えた。駆け出しの俳優がハリウッドで最初に当たる壁が俳優組合への加入だ。組合に入ってないと良い(組合)仕事は来ないし、組合に加入するためには組合の仕事をしなければならない。鶏が先か卵が先かに近い。スコットは親の七光りをちゃっかり使ってそれを早々にクリアするというしたたかなところのある現実感を持った現代っ子だ。「6歳か8歳の頃に映画の撮影現場に父親に連れて行ってもらった経験が強烈に印象に残っている」と話すスコットが映画の道に入ったのはごく自然で、ハリウッドでのサバイバルに何が必要かも肌で感じていたのかもしれない。
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