教師だって人間だ。聖人君子ではないのだから、問題はある。それをアメリカで最初に実感させられたのは長男ノアが中学生の時だった。英語教師のミスター・Aは「私の母親は移民だった。英語が得意ではなかったから、英語教師になった息子の私を誇りに思ってくれている」とバック・トゥ・スクールナイトで保護者たちに語った。第一印象は良かったのだ。しかし、それはとんでもない間違いだった。ある日、ノアが宿題を出し忘れ、ミスター・Aから「土曜日の補習授業に出席するように。登校は午前8時厳守」と母親の私にメールが届いた。土曜日と言えば日本語学校がある日だが、現地校が優先だ。ノアを連れて土曜の8時前に中学に行くと、ゲート周辺に数組の親子連れが集まっていた。そして閉まったゲートには「30分待ったが誰も来ないとはどういうことだ? 時間切れだ」とメッセージが手書きされた紙が貼ってあった。
ミスター・Aは時間を間違えたのだ。自分で8時と指定しておいて、7時に来て、誰も来ないから怒って帰ってしまった、ということだろう。数日待ったが、訂正の連絡がミスター・Aから届かなかったので、私は抗議メールを送った。「息子が宿題を出さなかったことがそもそもの原因だし、あなたが時間を間違えたことに対しても責める資格はない。しかし、あのような感情的な書置きを残した後、間違いに気づいた時点で訂正の連絡をしてくれてもいいのではないか?」。少々、挑戦的過ぎたかもしれない。返事はなかった。その後、学校で顔を合わせた時も彼は罰の悪そうな表情だったので、私は話を蒸し返さなかった。そして、ノアが中学を卒業した後、ミスター・Aが解雇されたと聞かされた。その理由も耳に入ったが、真偽はわからない。振り返ってみれば、私自身が学生の時も変わった教師は確かに何人もいた。しかし、親になると「自分の大切な子どもを教える教師は完璧でかつ公平でなければならない」という願望が募るあまり、彼らを見る目が必要以上に厳しくなってしまうのかもしれない。
モンスター級?
さて、高校生になったニナ、かつてないほどの曲者教師に遭遇した。某科目のミズ・B。彼女の噂は以前から聞いていた。生徒の点数をいかに低く抑えるか(!)に情熱を傾け、成績のいい子は特に目の仇にされるとか。教師として如何なものか、とその姿勢自体が疑問。生徒や保護者からは要注意人物と認識されている。
驚かされるのは、彼女が出す宿題と小テストの多さである。ニナは常に「ミズ・Bのクラスのクイズ(小テスト)があるから」と準備勉強をしている。それでも、それは学習の一環なのだから良し、としよう。ある時、ニナはミズ・Bに「宿題が出ていない」と授業中に注意された。確かに提出したと主張するニナにミズ・Bが放った言葉は「それは私の問題じゃない(That is not my problem)」だったそうだ。人としてどうなの?
それを聞かされた時、ニナに私はこう言った。「社会に出たら、ミズ・Bなんかかわいいと思えるくらい、びっくりするようなモンスターが大勢いるよ。でも、そういう人たちともなんとか上手くやっていかないといけない時もあるの。だから逃げないで自分ができることは何でもやって闘うんだ! テストの準備が必要なように、ミズ・Bとのやりとりは社会に出る前の準備だよ」
ニナはその後、ミズ・Bの小テストや宿題をクリアして頑張っている。そして、私は心の中で「モンスターがボスキャラに変身しませんように」と祈りながら見守っている。
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