秋には楽しみに待っているお祭りがある。隣街のアーバイン市で催されるグローバルフェスティバルだ。日本語に訳せば地球祭りとなる。なんとなく楽しそうではないか。
市庁舎の横の広大なパークで毎年、朝から夕方まで繰り広げられる。ここに住む世界各国の人々が自国を紹介する。推定1万6千人が繰り出す秋の一大イベントだ。
アーバインは十数年前、人口10万人以上の郊外都市の中で、全米一安全な街に選ばれた。世界からの移民が子供のためにいつかは住みたいと目指す街の一つだ。日本人の駐在員もまずここに貸家を求める。理由は簡単だ。安全、生活が便利、教育レベルが高いこと。英語を理解しない子供たちに第二外国語としての英語を教育してくれる制度も整っている。こんな学校区は、それ程多くはない。人気の秘密がここにある。
広場の周辺にはイベントに参加した60カ国以上の人々がテントを張り、自国の文化、食べ物、宗教を紹介している。日本テントでは、浴衣を着た若人がけん玉遊び、折り紙、金魚すくい、習字など様々な遊びや文化を紹介している。青空に鯉のぼりがはためき、おにぎりも並んでいる。
お隣のタイのテントでは、スイカやウリなどに彫刻する見事な野菜アートが目を引きつける。その手裁きと美的感覚に感嘆する。アイルランドのテントでは、キルトのスカートをはいた男性たちがバグパイプを奏でる。その音は郷愁を誘う複雑な響きを放つ。私たちが太鼓の音に特別な思い入れを持つように、彼らにはこの音が故郷を思い起こさせる音なのに違いない。イランのテントに入れば複雑な模様の施された民族衣装に目を奪われ、黒装束に抱いていた理由のない怖さが氷解する。各国のテントを巡ってゆけば、知らず知らずに世界の闇が開け、この地球には数多くの異なった人々が共存し、それぞれの特異な文化や芸術に育まれて今日があることが、素直に理解できる。闇が開けて明るい世界が見えてくる。肌身で感じたこの体験は貴重だ。
広場には3カ所に舞台が設置され、子供たちが色とりどりの民族衣装に身を包み、歌やダンスを披露する。周辺には様々な食べ物屋のベンダーが軒を連ね、人々はエスニック料理を試しながら、初めて見る芸能を驚きながら楽しむ。
私の属する合唱団も毎年日本の歌を歌う。今年は『ソーラン節』『浜辺の歌』『村祭り』を歌った。合唱団は17歳の高校生のお嬢さんから、81歳のご夫妻まで64歳の年齢差がある。在米50年になろうという人、駐在で5〜6年滞米している人、企業からの研修生、留学生など様々。年齢も人生のステージもまったく違う人たちが集まり、クラシックの名曲を一年間かけて練習し、コンサートで心を一つにして演奏する。地域のイベントにも数多く出演し、ここでは日本の歌を歌う。なんて素敵な合唱団だろうかと、誇りに思う。
地球祭りは、日本文化をアメリカ人に知ってもらわなくてはと我々の仲間である81歳のご夫妻がたった4カ国の参加で始められた。細々と続けていた矢先に9.11が発生した。その時、学校で、中近東出身の子供たちが「テロリスト」といじめられた。彼らの親たちが「我々はテロリストではない、我々の文化や宗教を知ってほしい」と立ち上がり、他の国も他人ごとではないと集結した。市が全面的にバックアップして、地球祭りは一気に拡大した。
9.11は、自国が戦場になった経験のないアメリカ人には大ショックだった。これまで経験したことのない沈滞感が社会を覆い、不動産業界も半年間は仕事にならなかった。そんな時、学校の校庭で遊ぶ子供たちの声は救いだった。どんな時でも、新しい命は生き続けようとする。未来に希望がある時、人は生き続けていけるものである。希望は自分で作らなければならないこともある。
あれからいろいろなことが起こり、今や、いつどこでテロが起こるか分からない世の中になってしまった。世界は大きく変動している。その一方で、この地球祭りのように、互いに理解し合おうと、人々の息使いが感じられるイベントも着実に根付いている。
日本の歌をしっかりと歌いながら、同時に地球人としての責任も持つ。異なったものを排斥しない、理解しようと努める地球人。歌った後の充実感がじわじわと押し寄せてくる。秋の青空が眩しい。地球祭りって、素敵だなと、毎年思うのである。
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