物流を制すものはビジネスを制すか?
第10回
- 2018年4月27日
前回、三菱の創業者である岩崎弥太郎に触れた。今回はその続編である。
新たな競合、英国P&O社との戦い
アメリカのパシフィックメール社を上海航路から追い出した郵便汽船三菱会社は、新たな競合会社と戦うこととなる。それが、英国のP&O社である。正式名称はペニンシュラ・アンド・オリエンタルスティーム・ナビゲーション。英国でもっとも利益を上げる貿易・海運部門をほぼ独占し、インドや香港などのアジアから本国・英国や欧州向けの貨物輸送、郵便輸送を請け負い、巨万の富を築いた海運会社である。
P&O社を含む英国政府は、幕末に反幕府勢力である薩摩や長州に対して銃や弾薬などを売り込んでいた。有名なグラバーは、長崎を拠点に武器などを売りまくった武器商人である。彼らの助けで倒幕を成し遂げた薩摩、長州であるがゆえに、日本から上海や欧州へ向けた郵便物の取り扱いも、英国船社に依頼することが当然増えてくる。
P&O社はこうした海外取引、海外輸送を優位に進めることができた。それを見ていた岩崎は、このP&O社をメイン航路である日本〜上海間から追い出すことを図る。もともと、独占的に市場を握っていたP&O社であったため、運賃は比較的高めに設定されていた。岩崎はPM社の時と同様、徹底した運賃攻勢をかけた。P&O社より安価な運賃を提示して、顧客を奪う作戦である。
P&O社もそれに対抗して値段攻勢をかける。まさに底なしの泥試合が始まった。アメリカのPM社はいかにもアメリカの会社らしく、合理的に採算の合わない航路はいち早く撤退したが、英国海運としての気位が高いP&O社は簡単には引かず、両社が採算割れのなか持久戦となる。
なかなか決着が付かないなか、岩崎自身も自分の給与を半分にするなど、徹底的な経費合理化を行うとともに、運賃を半値以下にするなど思い切った運賃攻勢をかけ続けた。さすがのP&O社もこれには抗しきれず、やむなく撤退。上海航路は三菱の勝利に終わった。
海運運賃同盟のはじまり
三菱の攻勢に日本から撤退するP&O社であったが、アジアとの貿易・輸送の利権を手中にするP&O社はほかの欧州系の海運会社と協議をして、海運運賃同盟の結成に走る。これは不毛な運賃競争を避け、海運会社の意志で運賃を設定し、航路や運賃の安定を図るものである。
P&O社はまず、自国の利益に大きく関わるインドと欧州を中心とする、インド・欧州運賃同盟の結成に動く。この趣旨に賛同した世界中の海運会社が集まり、アジアから欧州にかかるこの航路を使用する荷主に船社が設定した運賃を支払うことを義務付けた。この趣旨に同意しない荷主の荷物は輸送してもらえないのである。荷主は渋々ではあってもこの運賃同盟に加入し、船社が設定した運賃を払うことで海上輸送を確保した。
クローズド・コンファレンスといわれた欧州運賃同盟は、こうした経緯で1878年に結成された。その中心的な働きをしたのが、三菱との過当な運賃競争で痛手を受けたP&O社であったといわれる。
このあと、欧州運賃同盟は二度の世界大戦を経験するが、130年の永きにわたり、アジア〜欧州間の航路の安定と発展に貢献する。同時にP&O社も栄枯盛衰の激しい海運事業のなかで生き残っていく。
では、なぜP&O社はアジア〜欧州間で圧倒的な存在感を示すことができたのか?このコラムの主題である「物流を制すものはビジネスを制すか?」の視点から、次号、私見を述べたい。
この記事が気に入りましたか?
US FrontLineは毎日アメリカの最新情報を日本語でお届けします