物流を制すものはビジネスを制すか? 
第27回

1980年代後半、米国の海運二法の改定により、規制緩和が広がった。それにともない、船を持たずに海上輸送を行う複合輸送業者であるNVOCC(NON-VESSEL OPERATE COMMON CARRIER)が台頭。その立ち位置は船社(VOCC)から見れば荷主となり、実荷主から見ればキャリアー(船社)になる。

以前にも一度触れたが、ひとくちにNVOCCといっても、その設立母体によって多少違っている。まずは船社系NVOCC。コンテナ船中核6社といわれた日本郵船、商船三井、川崎汽船、昭和海運、山下新日本汽船、ジャパンラインなどが母体となって、各社がそれぞれNVOCCを設立した。ジャパン・インターモーダル・トランスポートや、マルチトランス、クレスト、コスモフレイトなどは船社系である。また、商社系としてMC トランスやトライネット、NLロジスティックスなど。

私も船社の営業の一員として数社のNVOCCを担当させてもらった。昭和海運系のマルチトランスや川崎汽船系のクレストのように船社出身者が多い会社や、メーカー出身者が多いメーカー系NVOCCなどを訪問して集荷活動を行う。毎日届く日本海事新聞や海事プレス、シッピングギャゼットなどの業界紙に目を通し、覚えたての薄っぺらな知識で一生懸命セールストークをしたのも今は懐かしい。

そんななか、勤めていた会社の韓国の本社が倒産。そのあとを同じ韓国船社がテイクオーバー。自動的に私も私の会社も、その会社に転籍となった。その会社が前述した韓進海運である。日本支店の支店長は親会社大韓航空出身の方で、英語も日本語も堪能な素晴らしい人だった。

当時、営業の中では一番若かった私に対して営業部長は、「今はNVOCC全盛時代だけど、状況はどんどん変わる。実際の荷物を持っているダイレクトシッパーをしっかりとフォローするように」と指導された。

話は前後するが、私は会社に入った1年目に総務部経理課に配属された。そこでは総務部長、経理課長の二人に本当にお世話になった。銀座や赤坂のバーやスナックなど、よく飲みに連れて行ってもらったものだ。

2年目に業務部に配属され、輸入を担当した。アライバル・ノーティスやデリバリー・オーダーなどを今は使われなくなったタイプライターで打ち込んで作成する仕事だ。また、朝一番にテレックス室に行って入電のあったテレックスを確認。関係者に渡す仕事もあった。電信が進んだ今ではまず使われることはないだろうが、当時として各船舶のキャプテンや外地の代理店との交信はすべてテレックスだった。文字数で料金が決まるので、できる限り簡略化した文章を作る。たとえば“We rcvd yr dcs. Pls chk.”のように。

輸入の問い合わせで一番多かったのは、シングルギャランティで貨物のリリースをして良いかと積み地のシッパーに確認する作業だ。荷受人のところに船荷証券が届いていない時、荷受人が自社のギャランティで貨物を引き取らせてほしいと依頼してくることがある。これは荷受人と荷送人(シッパー)の売買契約が根幹となるので、積み地の側のシッパーに了解をとるのだ。

両者が長い取引をしている場合は、基本的には了解される。シングルギャランティよりも信用力があるのがバンクギャランティで、文字通り、銀行が肩代わりを保証してくれる。この場合は積み地の了解なしで貨物をリリースする。

業界用語を一番勉強したのもこの輸入担当のときだ。会社は東京、有楽町の駅前にある有楽町電気ビルの5階だった。できたばかりのビルで出勤が楽しみに思えたものだ。総務時代も業務時代も、仕事が終わると先輩が誘ってくれ、有楽町のガード下の飲み屋に連れて行ってもらった。懐かしい思い出だ。

業務で3年間努めた私に営業配属の辞令が出た。1987年のことだ。

次号に続く。

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赤岩寛隆 (Hirotaka Akaiwa)

赤岩寛隆 (Hirotaka Akaiwa)

ライタープロフィール

外航海運会社で20年以上にわたり北米定期航路の集荷営業に従事。北米駐在を経て2013年9月、北米唯一の海運、港湾、物流情報発信会社SHIPFANを設立。
「日本海事新聞」紙上に「ロサンゼルス便り」、 ロサンゼルスのフリーペーパーに「物流時報」を定期掲載するほか、物流コンサルティング、物流セミナー、港湾ツアーの開催、輸出入のマッチング業務を手がけている。ロサンゼルス港に「コンテナ物流研究所」を開設。

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