第64回 一緒にする

練習風景

毎年夏、待ち焦がれている合唱祭「Pacific Choir Festival」が8月12日に終わった。私の夏はこれ無しでは完結しない。終わった後は寂しい。3日間の緊張した練習とコンサートの感動が、後々まで尾を引く。

音響も内装も一流の「セガーストロムコンサートホール」で、今年は88名のプロに混じり232名の素人が一緒にモーツァルト、コンフェッソーレを演奏した。総勢320名の声は圧倒的な迫力で、その中に自分の声が溶けてゆく感覚はこんな時しか味わえない。普段は30〜100ドルする観客席も全席タダとなるから、クラシック音楽の醍醐味を地元におすそ分けしてくれるありがたいプログラムだ。

約2カ月前に送付される1冊の楽譜を黙々と練習するのは孤独な作業だ。これが好きでなければ参加する意味はない。私のような素人は初見では歌えない。それが練習を積み重ねるごとに、少しずつ歌になってくる。この小さな努力がなかなか楽しいものだ。そしていよいよコンサート前々日の金曜の夜が来る。指揮者、合唱メンバー全員の初顔合わせとなる。当然歌えるものとして、のっけから指揮者の容赦のない早口の指示が飛んでくる。モタモタしていると何がなんだか分からない。室内一杯に男声二部、女声二部の声が満ちる。そのすごさ。まさに極楽だ。人間の歌声を全身に浴びる喜び。歌好きには、これも幸せの一つの形というべきであろう。

私の右隣の熟女3人はサンディエゴから来て、ホテルに宿泊して参加しているという。豊かな声質と音量、確実なピッチ。歌えるのは一目瞭然だ。間違うとコロコロと笑い合って互いに直し合っている。歌の仲間と一緒のこんなバケーションも悪くない。偶然隣り合わせただけの人と互いに自己紹介する。何年歌っているの、どこの合唱団にいるの、などなど。今年、ここで知り合った見知らぬ人と互いの声を聞き合い、ハーモニーを作るように自分の声を調整しながら、一緒に歌うのも何かの縁だ。

合唱歴もさまざまなら、人種もさまざま。年齢もさまざま。生い立ちも、育った環境も文化も違う人たち。多くは中年だが、若い人の顔もちらほら見え、アジア系も少数ながら見えた。見知らぬ他人同士の共通項はただ一つ、歌が好き、ということだけだ。すべての違いをものともせずに、一つの音楽を、一人の優れた指揮者の元で、一緒に作り出してゆく。この一体感が気持ち良い。

タイの洞窟に閉じ込められた少年たちとコーチ13名の救出劇は、世界中の注目を集めた。複雑で危険な洞窟の水中を潜ることにかけて、最高の専門ダイバーたちが世界中から集まったと聞く。人一人がやっと通り抜けられるような狭い所もあり、全員救出できたのは奇跡だ、とも言われた。タイは仏教国で、人々の性格はとりわけ穏やかだと聞いたことがある。パニックになって当然の状況の中で、冷静を保ち、今、現実にしなければならないことに集中するのは、極度の緊張感の中では震えるような強い意思がいる。救われる人ばかりではなく、救う人の命も危険に晒す。

生と死が隣り合わせの場面で生を信じ、決行するには、静かで強靭な勇気がいる。それを信じる見えない力がいる。集結したたくさんの人たちがその見えない力を信じ合っていたということだろう。こういう時に駆けつける人間の意志は、何なのだろうと思う。できるかどうか分からないことに賭ける勇気。成功しても失敗しても、その勇気を選んだことは、後々まで胸の奥に誇りとなって残るだろう。1人の犠牲者を出したが、13名の命は救われた。

今夏は自然災害が多発した。被災者の耐える姿、ボランティアで支援する人々の姿。人々が助け合う姿は人間を信頼できる温かさがある。テクノロジーの発達で、人間の横の関係が希薄になってきたからこそ、目的をもって一緒にすることの大切さを痛感する。人間として結ばれる気持ち良さがある。

歳を重ねると、自分とは性格が違う、うまく折り合えない人を避けたくなってくる。もう好きな人とだけ付き合いたいという声をときどき聞く。その通りだと思う。しかし皮肉なことに、嫌なことを切り捨て、社会との面倒な関係を断ち切ってしまうと、結局は自分の世界を小さくする。

自分一人ですること、皆と一緒にすること、どちらも違う楽しさがある。違う喜びは、生きる日々をより豊かにしてくれる。

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樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

ライタープロフィール

カリフォルニア州オレンジ郡在住。気がつけばアメリカに暮らしてもう37年。1976年に渡米し、アラバマを皮切りに全米各地を仕事で回る。ラスベガスで結婚、一女の母に。カリフォルニアで美術を学び、あさひ学園教師やビジュアルアーツ教師を経て、1999年から不動産業に従事。山口県萩市出身。早稲田大学卒。

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