物流を制すものはビジネスを制すか?
第15回
- 2018年11月15日
コンテナ輸送の海上運賃
シャンハイ・コンテナライズド・フレイト・インデックスというのを検索すると、上海港から北米、欧州に限らず、主要航路のコンテナ輸送における海上運賃の市場価格を週間単位で見ることができる。
ちなみに11月9日現在では、欧州までの運賃は20フィートコンテナあたり、753米ドルである。欧州の場合、40フィートは単純に20フィートの倍となるので、1506米ドルとなる。米国向けは西海岸と東海岸で分かれており、西海岸の場合、2575米ドル、東海岸で3613米ドルとなっている。
米国向けの運賃は欧州のようにはなっておらず、基本的に運賃は40フィートが設定され、20フィートは40フィートの80〜90%という計算をされることが多い。以前は70%だったが、船型の大型化にともない、40フィートコンテナを積むスペースを多く作っているため、20フィートのスペースは非常に限られている。なかには20フィートはほとんど積めないものもある。荷主は好むと好まざるとに関係なく、40フィートを使用することとなる。
なぜ今回、この欄のスタートにこのコンテナの海上輸送運賃を引用したかというと、今でこそ、海上輸送の主流ともいわれるコンテナ輸送であるが、はじめからコンテナ単位での運賃が設定されていたかというとそうではないのだ。
港湾荷役と近代化
前回も触れた欧州運賃同盟、北米運賃同盟の運賃設定は、当然貨物の種類によって設定されていた。1960年代にコンテナ船が台頭するまでは、貨物船は、バルク船という貨物をバラ積みできる船型のものが主流であった。
船への貨物の搬入は、港湾荷役の機器が発達する前はほとんど人力に頼っていた。人夫と言われる港湾労働者が貨物を肩に担ぎ、橋梁やはしごをなどを伝って船に乗り込み、貨物を船の底に積み込んでいった。近代化が進み、徐々に港湾機器が発達してくると、人足の仕事は奪われていく。
港の岸壁に設置されたクレーンや船の看板に設置されたクレーンを使って、岸壁に置かれた荷物を船側に運ぶことが可能となり、船積みのスピードは加速していく。船型も大型化されていった。幕末の1853年、ペリー提督が当時鎖国をしていた日本に開国を促しに来た時に乗っていたミシシッピ号という軍艦は、すでに全長が70メートルあったという。欧州運賃同盟に加盟する各国の船会社が所有する船も、年々大きくなっていった。
欧州に負けじと、日本でも大型の船が建造されていく。1927年には、日本郵船の建造した「浅間丸」という貨客船(貨物船と客船の両方の機能を持った船)が横浜ーホノルル(ハワイ)ーサンフランシスコ航路に投入されたが、この船の全長は170メートル、横幅は約22メートルであった。船の巨大化、大型化にともない、港の荷役設備も急速に近代化されていった。
コモディティレート
船会社の海上運賃は、こうした貨物の需要や貨物自身の種類、価格によって、おのずと決められていく。機械のように価格の高い貨物は当然、運賃は割高になる。なぜなら、船底での安定を確保するため資材や縄を使って動かないように固定する必要があり、こうした費用は当然運賃の中に含まれたからだ。
一方、価格の安い物やかさばる荷物は、比較的安い運賃が適用された。こうして輸送される商品の種類や機能によって、運賃は決められていく。商品によって価格が決められていた背景から、「コモディティレート」と呼ばれた。
欧州運賃同盟、北米運賃同盟という2大航路の運賃は、このコモディティレートが適用されていた。一方、運賃同盟に加入しなかった盟外船と呼ばれる船会社にとっては、台湾のエバークリーンに代表されるように、参入時にはすでにコンテナ船が普及しており、コンテナ単位での運賃設定が可能となっていた。
同盟船社も、時代の流れの中でコンテナ化が進んでいく。盟外船社以上のスピードでコンテナ船を普及させていく。しかし、運賃同盟という会の規約上、コンテナで輸送するとしても、運賃設定は旧来のコモディティレートを適用していた。運ぶ手段はコンテナであっても、あくまで運賃は貨物の種類によってそれぞれ設定され、荷主に徴収された。
そのうち、1本のコンテナの中に機械や雑貨が混載されて運ばれるようになる。同じコンテナの中に違う運賃が適用されたアイテム(製品)が積まれるのだ。
実は、この同盟が採用したコンテナ船を使ってのコモディティレートの運用が、運賃同盟の結束を弱め、やがて瓦解へとつながっていくのである。
次回に続く。
この記事が気に入りましたか?
US FrontLineは毎日アメリカの最新情報を日本語でお届けします