第70回 ドライバーズライセンス
- 2019年10月7日
- 2019年10月号掲載
ドライバーズライセンス更新の知らせが来た。きゃあ、恐れていたものがついに来た。3カ月後に現在のライセンスが切れることは自覚していたが、嫌なことは考えないようにしていた。私の弱みは視力の低下。それを認めるのが恐ろしかった。
頭も悪いが、目も悪い。右目は4年前、加齢から来る黄斑症の手術、1年後には白内障と2回の手術をして視野が暗く狭い。黄斑というのは、目の真ん中にある、細部を見る大切な組織だ。黄斑症は、老いた筋肉が縮んで両方から網膜が引っ張られ、ティッシュを両方から引っ張ると真ん中が引き裂かれて穴が開くように、網膜が破れる目の病気である。進行すると失明に至る。
ドクターは、あなたが悪いのではない、その部分が弱い体質に生まれてきただけなのだからと慰めてくれたが、自分を責め続けた。術後は1週間、24時間、起きている時、食事中、寝る時、常に顔を下に向けておかなければならない辛いものだった。
残る左目を、大切にしていた。しかし、白内障の進行が早く、夜の信号はまるでクリスマスツリーのように見え、危なくてしょうがない。やがて夜の運転ができなくなった。
免許更新には目の検査があるという。左目の白内障の手術を受けなければ目はパスしない。その手術は一生に1回しかできないから、なるべく遅らせたほうが良いと聞いていたものだから、我慢できるうちは混濁した視野に耐えていた。が、ドクターに、なぜこんなに重度になるまで放っておいたのだ、と叱られ唖然。重度になればなるほど、にごりが蓄積した水晶体にレーザーを当てて粉砕するのに時間がかかり、それだけ目の組織を破壊する危険が増すのだそうだ。素人判断の甘さを反省した。
手術はどんなものでも怖い。早朝に手術施設に入る。そこは早朝にもかかわらず、たくさんの人がテキパキと働き、まだ明けやらぬ外界とは別世界だ。看護婦さんたちの確信に満ちた言動と活気に不安が和らいだ。ドクターがやって来て、そっと左肩に手を置き、心配しないで、大丈夫ですよ、と言ってくださった。
術後の数日を過ぎると、左目と右目のアンバランスが和らいできた。ふと裏庭を見ると、白、ピンク、紫、赤の花々が咲き乱れ、すべてが光り輝き、まるで天国のようだ。室内は何もかも以前と同じなのに、何かが違う。ピカピカの別世界になっている。わああ。おそるおそる右目だけで見る。どんよりとした世界。左目だけで見る。ピカピカの世界。両方で見る。ピカピカの世界。衰えた目の機能のために、光に溢れた現実が見えていなかったことに気がついた。ピカピカの世界がそれだけで私を幸せにした。
次なる難関はドライビングテストだ。ドライブ音痴の私は、町角を曲がる時、対向車と自分とどちらに優先権があるのか、さっぱり分からずまごつくという低レベル。フェイスブックなどで、何人かの方がテストをみくびってはいけないと警告されていた。しっかり準備していかないと、落ちるらしい。どうしよう。知人に情報をもらい、以前あったテレホンガイドという電話帳の裏に付いていた模擬テスト200問と、DMVのサイトの模擬テスト100問を反復練習した。
DMVはいつもいっぱいで、予約を取るのさえ2カ月先だ。期限が切れる2週間前にかろうじて移民の町、サンタ・アナのDMVで予約が取れた。ここですべてにパスしなければ後がない。ペンキだらけの作業着の人、群れるこどもをあやすお母さん、車椅子の人、入れ墨のお兄さん、ごった返す群れの一員になって自分の順番を待つ。私は彼らと一緒にいる自分が好きだ。無一文で、ぼんやりした希望だけしかなかった若き日を思い出す。あの時と同じ勇気が湧いてくる。私たちはみな、この国で生きるため、運転免許を取得する不安に立ち向かっているのだ。
職員は親切で、次々に進行する。トランプの不法移民排斥措置に対抗してか、免許を取りたい人に分け隔てなく適切に対応している。目のテスト、パス。試験、パス。仮免許の紙を手渡され、本物は2〜3週間待ちなさい、と伝えられた。ええ、何週間でも待ちますとも。
帰路はまたサンタ・アナのごった返す交通の渦に突っ込む。免許証が取れた嬉しさでいっぱいだ。これから5年間、みなさんと一緒に朝星、夜星で働き続けます。だからこの渋滞のレーンに私を入れてもらえませんか、トラックのお兄さん。私も若い頃はピックアップトラックを運転していました。
ありがとう、アメリカ。車を運転し、正しく働き続けます、このピカピカの世界で。身体は老いても、心は、いつも素直でしなやかに強いやまとなでしこです。ハンドルを握りしめ、いざ、新しい旅立ちに出発です。
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