家の売買に関わる仕事を長年している。人それぞれ異なった理由でこの職業を選択するのだろうが、私の場合は建築物が好きというのが第一の理由だった。家の大小に関わらず、ここをこうしたら明るくなるとか、この壁を取り払えばスッキリするとか、心地良い住空間を考えるのが好きだ。
これから計画している旅行も、大体が家絡みである。フロリダ、キーウエストにある小説家・ヘミングウェイの家を見たい。ニューメキシコ、ゴーストランチにある画家・ジョージア・オキーフのアトリエを見たい。南仏、アルルにあるゴッホのアトリエ・黄色い家を見たいなど、誰かが何かをした家を見ることが私の旅の主な目的である。
作曲家・リストの難曲『ラ・カンパネラ』で世に出たピアニスト、フジコ・ヘミングさんが興味深いことを言っていた。「自分が死んだ後、人々にどんな人として記憶されたいですか」というインタビュアーの質問に、「家を遺したい」と答えたのだった。え、家を遺したいってどういう意味? 困難を克服した天才ピアニストでもなければ、奇蹟のカンパネラ、魂のピアニストでもない。かなり意外な返答だった。
フジコさんは、本職のピアノ以外にも独特の絵を多く描いている。こども時代の絵日記などは秀逸だ。猫をたくさん飼っている様子などを見ても、根っからのアーティストだ。自分の想いや感覚を率直に口に出す人だから、唐突に聞こえる返事もきっと本心だろう。
実際、フジコさんはいろいろな場所に家を持たれているようだ。パリ、ベルリン、サンタモニカ、東京、京都など。YouTubeで拝見すると、パリの住居は古いアパルトマンで猫脚のフェミニンな家具で飾られている。椅子の背もたれに繊細な彫刻が施されたエレガントな家具。自分の絵で部屋を装飾し、あれこれ変えるのが趣味であり息抜きでもあるのだとか。若き日の欧州生活で苦労したから勤勉な仕事人間で、89歳の今もコンサートを精力的にこなす体力、気力がある。舞台の上の孤独を支えるガッツがある。家を遺したいという情熱が原動力なのだろうか。京都の家は町家。どの家もその土地の歴史を反映した建築物で、インテリアも凝ったものなのだろう。
フジコさんがこれほど家に愛着を持つのは、家に助けられた体験があるからではないか。過酷なヨーロッパ生活の後、母親が亡くなった時、日本帰国を決意したのは遺された家があったからではないか。もし家がなかったら、帰国したかどうか疑問だ。母はフジコさんを世界的ピアニストにすべく厳しく鍛えたこと、死後に大きな家を遺したことで、彼女の人生に多大な影響を与えた。その家は、個人の住宅以外の階は劇団の稽古場として貸し出されていたという。当面無収入でも、家賃で食いつなげる。何十年も離れていた日本帰国後、無名だったフジコさんをとにもかくにも経済的に支えた。雨露をしのげる家さえあれば、食べるのも着るのも簡単なことだ。その家が、彼女を世に出るまで精神的に支えたと言っても過言ではない。
ロサンゼルス南東のラグナウッズという町にあるリタイアメントコミュニティで、忘れられない家に出会ったことがある。大柄のドイツ人女性が住んでいた。部屋に入った途端に動けなくなった。衝撃を受けた。わあ~、なんて豊かで美しい住空間だろう。壁という壁は隙間なく壁紙が張られ、たくさんの絵が飾られている。通常なら騒がしすぎる装飾だが、それらが完璧にマッチし独特の魅力を醸し出していた。書斎は3面、床から天井まで造り付けの本棚に分厚い本がぎっしり。特大の机の上に時代物のランプ。この机に座っただけで、自分の世界に没頭できる。こんな家が棲家なんて、きっと豊かな人生を生きてきた人に違いない。その人を見る目が一瞬のうちに変わった。その家は長く私の記憶に残り、折々に思い出された。あんな家に住みたい。
自分は一体どんな家を遺すことができるだろうか。一瞬のうちに住み手の一生を映し出し、浮き彫りにする家。日々自分らしい生活をし、好きなもので埋め、自分の足跡を遺してゆく。それを積み重ねてゆけばきっと、いつか出来上がる。魅力的なものは一朝一夕には出来上がらない。が、何十年の情熱と信念をつぎ込めば、いつの間にか生まれてくる。不思議なものだ。魅力的な人間が住み、豊かな日々の足跡を遺した家。フジコさんが言う遺したい家とは、そんな家なのだろう。
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