行ってみなければ、わからない
- 2024年12月6日
- 2024年12月号掲載
娘家族が今、7週間日本を旅行している。昨年はイタリアに2カ月旅した。毎年異国でバケーションを過ごしたいと長年の夢を実行に移した形だが、2年目にして「旅行に少し疲れちゃった」と本音が漏れるようになった。個人旅行だから、毎日、明日はどこを観光しようかと前夜に検索し、乗り物の切符や入場券を事前に手配する。すべては英語でできるとはいえ、イタリアの規則、日本の慣習を理解したうえで予約を入れるのは結構面倒なのだそうだ。イタリアの列車は長く連なったうえに停車時間が極端に短いから、全力疾走で車両までたどり着かねばならぬ。スリル満点というか心臓に悪い。
今の旅行の素晴らしい点は、ホテルではなくAirbnbが借りられることだ。もう皆慣れてしまって何とも思わなくなったが、他人の住居を一定期間借り、自分の別荘のように住めるのは画期的だ。最初に考え出し、ビジネス化した人はアイデアマンであり、ヒューマニスト。別荘の持ち主が使用するのは短期間だから、空いている時は収入源になる。利用者は別荘を所有するだけの財力がなくてもお裾分けをいただいている気分になれる。
今回彼女たちは大阪、京都、鎌倉、東京、金沢と5カ所で日本家屋を借りて住む。大阪の家は、今風の新しめ。小さくすべてがコンパクト。大きな家が普通の米国人には驚きのサイズだったようで、全部屋撮影して送ってきた。日本人にはおなじみのスペースだが、米国人には余程驚きだったのだろう。体が2倍大きいのだから彼等としては別世界の空間。京都はさすがに日本家屋の品格を備え、室内も良質の建築材で隅々まで洗練された佇まいだった。
そして今は鎌倉にいる。これが昔のひなびた日本家屋がそのまま保存された情緒あふれる家。床の間に満月とすすきの掛け軸に小瓶に一輪の花が飾ってある。畳の部屋にマットレスを敷き、その上に敷布団、掛け布団で寝床が作ってある。我々の記憶の中にある「ザ・日本」だ。縁側は風雨にさらされ朽ちているが、その素朴さが良い。縁側に座って背筋を伸ばしヤクルトを一人で飲んでいる4歳児の向こうには、灯籠に玉砂利の裏庭が見える。静寂の音が聞こえてきそうだ。
昨年3週間滞在したイタリアの古都フィレンツエの住宅を、今でも思い出す。町全体がまるで城壁のように連なり、すべて当時そのままの石の建物が保存されているから、室内もその時のままだろう。建物は4、5階で統一され、借りた部屋は3階の大きな一角。寝室3部屋、浴室2つ、広い居間、ファミリールーム、書斎、台所、ランドリールーム、玄関と贅沢な空間だ。3階までの階段と踊り場も当時のままで、上ってゆく間に見える各部屋は大小まちまちである印象を受けた。エレベーターはないから、食材などの荷物を上まで運ぶのに疲労困憊した。毎日の生活には大変だから、この理由で上階は買値も借賃も安かっただろう。下の広い住宅を所有している人は先祖から相続した特殊階級で、庶民は一生、安い上階の部屋の家賃を払い続け、息を切らしながら階段を上り降りしたのだろうか。勝手に想像して胸苦しくなった。
海水浴場とカーニバルで有名な町、ヴィアレッジョに避暑に行った時に3日間借りた部屋は、素敵な歴史的外観なのに、中は安普請でモダンに改築されていた。これが現在の庶民の味も素っ気もない現実的な住居だ。夢から一気に冷めた。
雑誌でパリジャンの住宅が紹介されることがあるが、部屋の一角に小さな家具を置き、小花を飾れば素敵そうに見せるのは簡単だ。ブロカントで買い求めた品々というとカッコイイが、日本語に置き換えれば蚤の市で求めた古物にすぎない。人物写真の背景にパリの歴史的町並みを入れれば、誰でも素敵に見える。そういう写真のトリックが分かってしまう。初めてパリの町を訪れた時はそれを悟ってしまい愕然としたことがある。憧れというオブラートに包まれた虚像に憧れていたのかも、と。
違った土地の気候風土や家屋を見、自分の現実の住居空間と比較してみる。どんな所でもいい、自分の居場所を確保し、清潔に整え、どんなことでもいい、自分のやるべき目の前のことに集中して全力を尽くす。ごまかさない現実の日々を生きる。行ってみなければ、わからないことがある。旅はそれを怖いくらい正直に教えてくれる。
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