
フロリダはウエストパームビーチ、ジュピターという浜辺の街に娘家族が住んでいる。約1カ月滞在したが、家からビーチまで歩いて行けるからか、穏やかな海洋性気候で快適だ。冬は75度前後の気温、朝夕は快晴、いつも微風が吹き、時に驟雨は降るがすぐにどこかに消えてしまう。実に優しい気候である。ニューヨークやシカゴなど冬が厳しい地域からセカンドハウスをここに持つ人も多い避寒地だ。
フロリダ半島はいつもハリケーンの通り道となり、暴風雨、家の崩壊、浸水など、毎年どこかが災害に見舞われている。引っ越せばいいと思うかもしれないが、人間は生まれ育った土地に愛着があり、簡単ではない。ジュピターは大西洋側に面し、入江や水路や池だらけで土地が低いから、ハリケーンが正面からくれば相当なダメージを受けるはず。しかしハリケーンは不思議にいつもガルフコーストから右に迂回し、ジュピターの遥か北に抜けるので、今のところ災害を受けずに済んでいる。
ここに、Norton Museum of Artがある。玄関口にそれはそれはみごとな推定樹齢100年と思われるBanyan Treeが聳え立っている。幹は太く青々とした葉を茂らせ、枝から垂直に垂れ下がった無数の根が地面に突き刺さり、それがまた幹になって枝を広げる。200年から500年も生きるらしい。まるで木に魂が宿るようで、その姿は威厳に満ちて恐ろしいくらいだ。ハワイのマウイ島が山火事で壊滅した時、この木が焼け落ち人々は悲嘆にくれた。が今、また新芽が出て蘇りつつある。それと同じ木だ。美術館の通りを隔てた向かいには、この地で一生を過ごした人々の墓地がある。荒れ果てた広大な墓地とBanyan Treeを見上げながら、この地の歴史を思う。
美術館はシカゴの財閥による個人のコレクションから出発し、今では8200点の所蔵品数を誇る。主に近代から現代アートで、上質な作品が勢揃いしている。期間限定の特別展もある。テーマに添って集められた現代作家の作品が、皆、個性的で面白い。きっと良いキュレイターがいるはずだ。展示の仕方も効果的で秀逸。長い廊下のどんづまりに照明に照らされた主要作品が展示され、廊下のはるか向こうからでも目が引き付けられる。我々は何も考えずに観て回るが、主催者はどう絵を配置したら其々の絵が生きてくるか、観客の目を楽しませることができるか、計算し尽くしている。展示フロアの流れも無理がなく、大きな窓からたっぷりと自然光が注ぎこむ。中庭のトロピカルな植物が輝いている。日常から離れ、アートの世界に浸る。生きる喜びに浸る。
アートを見ても何が良いのか分からないという人も多い。私も分からない。これはまったく暴言に近い私見だが、何が描いてあるのか、作者は何を訴えたいのかなどなど、理屈をつけて理解しようとする必要はないと思う。なぜなら作者自身もおそらくはっきりとした意図をもって描き始めたわけでもないと思うから。真っ白いキャンバスを前に、ここに何を描こうかと、嬉しくてたまらないのがアーティスト。キャンバスは彼らの遊び場。普段ぼんやりと感じていること、思っていることを形や色でどう表現するかに没頭する遊び場。試行錯誤しているこの時が彼らの至福の時。カオスの線や形や色が重なる奥に自分が探していたものが、ぼんやり浮かび上がってくる瞬間がある。何を描きたいか作りたいか、手を動かしている間に潜在意識の底から浮き上がってくる。それが何なのかの説明は、他人の後からのこじつけに過ぎない。
だから、作品の前に立ち、無になり、まずしっかり観る。形が好き、色が好き、エネルギーが好きと正直な感想を持つ。好きということは、それがあなたの心の中の何かに共鳴したから。最初から説明を読んでは自分の感性で感じ、純粋な目で見ることができなくなってしまう。人のもっともらしい解釈に振り回される。どう解釈しても個人の自由だ。
アーティストはこの作品のテーマはと聞かれて、大体は、はっきり答えられない。答えなくても観て感じてください、どう解釈してもいいですよ、と思っているからだ。自分でも分からず説明もできないのだから。アートの唯一無二の役割は人を幸せにすること。幸せとは何かを考えさせること。日常から離れた旅先の美術館で好きな絵に出会い、深く静かな一時を過ごす。身も心も洗われる。
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