シリーズ世界へ! YOLO⑲クロアチア紀行
森とワインと国境と…

文&写真/佐藤美玲(Text and photos by Mirei Sato)

 

Photo © Mirei Sato

Photo © Mirei Sato

DAY 5

ブコバル(Vukovar)
  
イロック(Ilok)

 旅の最終日は、内戦で激戦地となったブコバルへ。ドナウ川のほとり、セルビアとの国境に近い街だ。タイヤ生産や繊維業が盛んで、ユーゴ時代は国内で2番目に豊かな産業都市だった。

 開戦前の人口構成は、クロアチア系が50%、セルビア系が30%。同じ学校に通い、隣り合って暮らし、結婚もした。しかし戦争で、昨日までの友人が、憎しみあい、銃口を向けあった。街の85%は崩壊。第2次世界大戦以降のヨーロッパで最悪の犠牲者を出した。
 セルビアの支配は7年続いた。強制収容と虐殺。今も行方不明の人は多く、街周辺に遺体の埋葬地が50カ所以上あると言われている。

 ブコバルを案内してくれたガイドのイヴォーさんは、開戦時、3歳だった。父親(クロアチア系)の40年来の友人(セルビア系)も、敵になった。一方でクロアチア側について戦ったセルビア系住民もいた、と振り返る。

 「ブコバルは、セルビアの攻撃からクロアチア全土を守る『盾』にされたんです」。ブコバルが市民総出で必死の抵抗をしている間、首都ザグレブを含めたほかのクロアチア人は、脱出の準備をする時間を稼げた。

 イヴォーさんの一家は地下室で暮らしたが、1カ月しかもたなかった。「トウモロコシ畑の中を逃げました。地雷だらけで、爆発したら終わり。祈りながらの出国でした」

 ハンガリーの国境を越え、オーストリアを抜けて、ドイツ北西部へ。そこで「難民」として暮らした。1998年にブコバルに戻ったが、まだ道端で手りゅう弾が売られているほど不穏な状態で、クロアチア系とセルビア系の隔離が続いていた。
 「毎日どこかで銃声が聞こえたし、警官も横暴でした。父と一緒にドナウ川で釣りをしていたら、川の向こう(セルビア側)から発砲されたこともあった。サッカーの競技場も地雷だらけ。先生も生徒も、ささいなことでケンカをして、拳銃を抜きあう日々でした」

 「だから、ぼくも『憎む』ということを学びましたよ。2002年頃でしょうか、ようやく皆が気づいたのは。民族をひとくくりにして罪を負わせるのは無理なんだ、っていうことに」

 ブコバルを離れたのが3歳、戻ったときは9歳で、クロアチア語もしゃべれなかったイヴォーさん。祖先はドイツ系だという。難民として身を寄せたドイツに「残る」という選択肢はなかったのだろうか? そう聞くと、「戦争が終わったら難民は出ていかなければいけないんですよ」と答えた。

 戦争の記憶をとどめる「給水塔」と「記念病院」を訪ねた。内戦中、ブコバル市民は毎日この給水塔にのぼって旗を掲げ、降伏していないという合図をクロアチア全土に送った。

 爆弾を受けながら負傷者を手当てした病院の展示室には、「Forgive but Never Forget」という言葉が刻まれていた。係りの人が「被爆地の広島や長崎と一緒に、平和研究所のような組織をつくろうという話が進んでいる」と教えてくれた。

 給水塔と病院には、観光客が多く訪れる。過去を記憶し、伝え続けることは大切だ。けれど、地元の人たちは「ブコバル=戦争」という型に閉じ込められることに疲れている。「そろそろ前に進みたい。旅行者には、戦跡以外のワイナリーや自然も楽しんでもらいたい」。イヴォーさんは、地元感情を代弁してそう話した。

 戦争で親きょうだいや友人が引き裂かれ、二者択一を強要される。「辺境」の人々が犠牲になって国を守り、その傷を永遠に負うよう義務づけられる。——そういう構図は、広島や長崎、沖縄にも、通じるところがあるように思った。日系アメリカ人2世の体験とも重なるのではないか。

 そんな私の話を、イヴォーさんは熱心に聴いていた。「知りませんでした。学校でも習ったことがない」
 「いえいえ、アメリカでも日本でもそういう歴史を教わる機会はあまりないんです」と私は返した。
 

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