裏ななつ星紀行〜古代編
万葉ゆかりの地を訪ねて 葛城・宇陀の旅
第三話

文/片山恭一(Text by Kyoichi Katayama)
写真/小平尚典(Photos by Naonori Kohira)

 

一言主神社から見上げた空 Photo © Naonori Kohira

一言主神社から見上げた空
Photo © Naonori Kohira

 二上山から葛城山にかけての山麓は、古代の有力氏族、葛城氏の本拠地であった。三輪山の西側を大和国、葛城山の東側を葛城国と呼んでいた時代もあったという。まさに現在の奈良を二分する一大勢力だったわけだ。『万葉集』に登場する最古の人物、磐姫皇后(仁徳天皇皇后)は葛城氏の娘とされる。『記紀』や『仁徳記』では、ずいぶん嫉妬深い女性として描かれている。自分以外の女性を寵愛する夫への嫉妬に悶え苦しんだ、という伝説の皇后である。そうした伝説にふさわしい歌が残されている。
 
君が行 日(け)長くなりぬ 山尋(たず)ね
迎へに行かむ 待ちにか待たむ(二・八五)

かくばかり 恋ひつつあらずは 高山の
岩根し枕(ま)きて 死なましものを(二・八六)

ありつつも 君をば待たむ うちなびく
わが黒髪に 霜の置くまでに(二・八七)

秋の田の 穂の上(へ)に霧(き)らふ 朝がすみ
いづへの方に わが恋ひやまむ(二・八八)
 
 実際は、代作者たちが磐姫皇后の伝説に仮託して詠んだ歌と解するほうが自然だろう。ところで『万葉集』の編者たち(大伴家持が中心であったとする説が有力)は、これらの歌を相聞に分類している。相聞とは、特定の相手に向けた贈答歌で、『古今和歌集』以降はシンプルに「恋の歌」と解されるようになる。つまり現代のわれわれがイメージするような、男女間の思慕の情といった意味の「恋」である。するとこれらの歌は、非常に情念の濃い恋愛歌ということになる。とくに二首目、これほどまでに恋焦がれて苦しみつづけるよりは、いっそ高山の岩を枕にして死んでしまったほうがましだ、といった通釈になり、まことに恐ろしい。

 『万葉集』におさめられた歌を、鎮魂法との関係で読み解いていくことの重要性を唱えたのは折口信夫である。『万葉集』の分類(部立て)のなかに「鎮魂」という言葉は見られない。そのかわりに「挽歌」という言葉が使われている。これは皇族や貴族たちの死に献ぜられた歌のことで、『万葉集』の編者たちにとっては、「挽歌」に分類されるもののみが、鎮魂の意味をもつものとして理解されていた。それ以外の歌、「雑歌」や「相聞」に分類されているものからは、すでに鎮魂歌としての機能が見失われ、たんなる叙景や恋愛の歌として受け取られていたことになる。

 これにたいして折口は、叙景歌や恋歌と見えるものの多くは、本来は鎮魂歌であると考えた。古代の鎮魂法の中心的な観念は、「魂振り」と呼ばれるものである。これは死者の魂を呼び起こし、自らに固着させることをいうが、元来は私的な追憶や思慕といった個人的動機からではなく、後に見るように、天皇霊の継承というような、共同体の秩序を維持するための公的儀式として行われていたらしい。

 そこでもう一度、磐姫皇女の歌に立ち返ってみよう。果たして本来の意味はどうだったのだろう。現代の通釈とはかなり異なっていた可能性も考えられる。実際、折口信夫や白川静は、これらの歌を挽歌として読み解いている。たとえば一首目の歌に、「待ちにか待たむ」という表現が出てくる。三首目にも、「君をば待たむ」と似た言いまわしが使われている。白川によると、「待ちにか待たむ」「君をば待たむ」「待つには待たじ」といった類型的表現は、本来挽歌のものだった。また「山尋ね」とは、死者の葬られている山中の墓所を訪ねることであった、と折口は述べている。すると四句の「迎へに行かむ」というのは、死者の魂を迎えに行くという意味になるだろう。そこで死者の魂が寄り添ってくるのを待つわけだ。

 なんだか『裏ななつ星』らしからぬ、不穏な雰囲気になってきた。こういうの、ぼくはわりと好きなのです。興味のない人には全然面白くないと思うが、もう少しお付き合い願いたい。
 

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片山恭一 (Kyoichi Katayama)

片山恭一 (Kyoichi Katayama)

ライタープロフィール

小説家。愛媛県宇和島市出身。1986年「気配」にて『文学界』新人賞受賞。2001年刊行の『世界の中心で、愛をさけぶ』がベストセラーに。ほかに、小説『静けさを残して鳥たちは』、評論『どこへ向かって死ぬか』など。

小平尚典 (Naonori Kohira)

小平尚典 (Naonori Kohira)

ライタープロフィール

フォトジャーナリスト。北九州市小倉北区出身。写真誌FOCUSなどで活躍。1985年の日航機墜落事故で現場にいち早く到着。その時撮影したモノクロ写真をまとめた『4/524』など刊行物多数。ロサンゼルスに22年住んだ経験あり。

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