物流を制すものはビジネスを制すか?第4回
- 2017年2月16日
邦船大手川崎汽船のロングビーチターミナルであるITS(International Transportation Services Inc)の社長および会長を長年務め、当地で「海運、港湾の宝」「海運コンテナ史の生き証人」とも言われた浅見紳太氏が、妻敏子さんを伴いご夫妻で日本に帰国した。日本では港の見える横浜の本牧に住まいを移し悠々自適の生活を送っていると聞く。ニューヨーク海務監督、アラスカ新航路開設、タコマ港開設など氏が当地に残した功績は多い。中でも最大は「全米初のオンドッグレール開設」であろう。港湾関係社が「ロングビーチ港こそ、オンドックレール発祥の地」と胸を張る「オンドックレール」について若干ふれてみたい。

Photo by the Port of Long Beach
日本ではあまりなじみのない言葉と思われる「オンドックレール」。これはロングビーチ港など港で下されたコンテナをターミナルの内で鉄道のコンテナ貨車に積み米国の中西部や東海岸に輸送するコンテナ専用列車のことである。
日本は鉄道の線路の幅やトンネルの高さ、鉄橋の強度など様々な要因で海上コンテナをJRの鉄道路線にそのまま載せて走ることはできない。通常、港で下されたコンテナはトラックで目的地に運ばれるか、港近くの倉庫でコンテナから出され、JR貨物の鉄道専用コンテナに積み替えられて輸送されるかである。港から直接コンテナを輸送するという「オンドック」になじみがないのも当然であろう。
コンテナ船ビジネスと内陸鉄道輸送の開始
1956年、マルカム・マクリーン氏によって始められたコンテナ船ビジネスはその利便性、効率性が広く荷主の指示を得て急速に発展。コンテナリーゼーションとして海上輸送に一大革命を興した。その後コンテナ輸送は港から港への輸送から西海岸経由で東海岸の港や中西部の都市まで鉄道を使ってコンテナを運ぶことまで可能となった。
コンテナの内陸輸送が定着し、特に西海岸の港はアジアからの輸送量が急激に増加するに伴って港内の混雑が恒常化、そして、ロングビーチやロサンゼルスの港からロサンゼルスダウンタウンの東に位置する鉄道のターミナルまでの10数マイルの距離をコンテナ積みのまま走るトラックから出される排気ガスの大量放出が社会的に大きな問題としてクローズアップされるようになった。
(背景にはロサンゼルス地域は全米一大気汚染が進んでいるといわれる)
オンドッグレール開設
港周辺の混雑を緩和し、上昇を続ける排気ガスを抑えるには、港のターミナルから直接鉄道の貨車にコンテナを積み、港から出発させる。それによってトラックの使用頻度を抑え、港内の混雑を解消する。それにはオンドッグレールしかない。オンドッグこそ、大気汚染を緩和できる唯一の方法である。しかし、オンドッグレール開設に猛烈に反対する一団があった。オフドッグと呼ばれる港から数マイル離れたところにコンテナ専用の鉄道ターミナルと持ち、その既得権益を享受していたサザン・パシフィック鉄道とその擁護者たちである。
サザン・パシフィック鉄道を擁護する市議会や港湾のコミッショナーの反対の声を振り切り、オンドッグレールを決行したのが、当時ITSの社長あった浅見紳太氏である。1986年4月のことであった。反対派の中心であったサザン・パシフィック鉄道は直ぐに法廷闘争に訴え出た。
数回にわたる裁判の結果、ITSが決行したオンドッグレールは全米の鉄道を管理する連邦のルールや規制に一切抵触するものでないとされ、サザン・パシフィック鉄道の訴えは却下され、オンドッグ推進派は勝利し、その継続が確約された。

Photo by the Port of Long Beach
オンドッグにより港はさらに発展
開設当初はコンテナの積みつけによりある程度限られた本数しか組めなかったオンドッグレールであったが、コンテナ積み付け港の努力と技術の進歩により現在では内陸の運ばれるコンテナのうち3割はオンドッグレールにより運ばれるようになった。
オンドッグレールにより混雑の緩和と大気汚染を抑制できたロングビーチ港はその後全米一のコンテナ取り扱い港として発展し、オンドッグを初めて開設し定着させて浅見氏はロングビーチ市議会より「ファザーオブオンドッグ(オンドッグの父」の称号を授与される。
異国の地にあって、一人の日本人による英断がその地域の環境を改善し発展の原動力になったことに同じ日本人として大いに勇気付けられ誇りにすら思えるのは私一人ではないのではないだろうか。
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