物流を制すものはビジネスを制すか?第5回
- 2017年3月17日
邦船大手、日本郵船、商船三井、川崎汽船の3社がコンテナ部門の統合を発表した2016年10月31日からはや5ヶ月が過ぎようとしている。
主要航路ではアジア・欧州の運賃交渉もいよいよ本格化する。アジア・北米航路も関係機関が固唾を呑んで統合の推移を見つめている。
統合に伴う様々な合理化案は今のところ各社戒厳令がひかれているのか、あまり具体的な話として漏れ聞こえてこない。運賃交渉が進む中で各社からの具体案が待たれる。この項では邦船3社を含む日本のコンテナ船事情とそこに携わる海運界の歴史を振り返ってみたい。
コンテナ船の誕生
コンテナ船ビジネスは、アメリカでトラック会社から身を興し、そこで得た資金をもとに海運界に参入したマルカム・マクリーンによって始まる。35フィートの長さの鉄製のコンテナ58本は「Ideal – X」と命名されたセミコンテナ船(オイルを輸送するタンカーの船底に改良を加えシェルガードを設置することでコンテナを効率よく積み込むことが可能な船型)に積まれてニュージャージー州のニューアークからテキサス州のヒューストンまで数日掛けて航海し無事到着。揚げ港でシャーシーと呼ばれるコンテナ台車付きトラックに積み替えられ内陸を目的地まで陸送された。
コンテナ船での海上輸送の効率性が評価され、利便性が認知されてくると他の海運会社もそれに追従しコンテナ船は海運界の花形となり一躍海運界の主役に躍り出るのである。
海と陸を一貫で結ぶという意味で社名をSEALAND(シーランド)と変更したマルカムはその後も業績を伸ばしていく。アメリカがベトナム戦争に参戦した時も軍需物資の輸送で莫大な利益をあげている。
アメリカが北ベトナムに空爆を開始した1964年には、日本の海運界も大きな波の渦中にあった。「1956年のスエズブーム以降、長期海運不況により日本の外航海運企業は経営基盤が脆弱になっていたため、政府は海運企業の経営基盤を強化し、外航船舶を整備する方策として海運再建整備2法を制定し、海運企業の集約を図るとともに財政上の優遇措置を講ずることとした。」(SHIPPING NOW 日本海事センター)政府主導によるこの集約により、大きく6つのグループに形成されていく。
日本のコンテナ船の歴史と6社への集約
1870年に岩崎弥太郎によって創業された郵便汽船三菱会社の流れを汲む日本郵船と三菱商事船舶部の流れを汲む三菱海運が合併して日本郵船となり、日産汽船と日本油槽船が合併し昭和海運、大阪商船と三井物産の流れを引く三井船舶が合併し大阪商船三井船舶に、日東商船と大同海運はジャパンラインに、山下汽船と新日本汽船が合併して山下新日本汽船ができ、飯野汽船を傘下に入れ川崎汽船がその一角を占めた。この集約により邦船の中核6社体制が構築された。
中核6社体制下で経営基盤の強化が進む中、1966年に政府による海運造船合理化審議会において「我が国の海上コンテナ輸送体制の整備について」の答申が行われ日本も本格的にコンテナ船運行へと舵をきることとなる。
そして、その二年後の1968年9月日本郵船は邦船初のフルコンテナ船「箱根丸」を米国の西海岸向けに投入、サービスを開始した。その翌月の10月には商船三井がフルコンテナ船「アメリカ丸」を就航した。川崎汽船も同年、初のコンテナ船「ごうるでんげいとぶりっじ」を就航させた。
中核6社から3社へ
順調に軌道に乗っているかに見えたコンテナ船ビジネスであったが、その後、2度のオイルショック、1985年のプラザ合意後に始まる急激な円高により大きな打撃を受け、1980年代後半にはジャパンラインと山下新日本汽船が、コンテナ船を中心とする定期部門とタンカーやトランパーを中心とする不定期部門に分離、統合を行い、コンテナの定期部門は日本ライナーシステムと名を変え
中核5社の1社として存続し、不定期部門はナビックスラインとしてコンテナ部門から独立した。
その後、韓国、台湾、香港の海運会社の躍進の影響をうけ1998年昭和海運は日本郵船と合併、日本ライナーシステムも1991年に日本郵船に吸収、不定期船会社であったナビックスラインも1999年に大阪商船三井船舶と合併し商船三井となり、昭和海運、ジャパンライン、山下新日本汽船の3社の名前は消えた。
21世紀を前に邦船は日本郵船、商船三井、川崎汽船の大手3社を残すのみとなった。21世紀の幕開けと共に、コンテナ船の生みの親ともいえるマルカム・マクリーンが2001年5月25日に永眠。それは一つの時代の終焉で有り同時に新しい時代の始まりでもあった。大きな荒波が海運界に押し寄せる。
超大型船の就航と業界淘汰により邦船コンテナ1社体制へ
マルカムの就航した世界最初のコンテナ船はコンテナを58本積んだだけのものであった。日本郵船の初のコンテナ船は752TEU(20フィート換算)であったが、船型はその後も大型化し、21世紀に入ると10000TEU(20フィート換算で10000本積載可能)のラージヴセル(大型船)が登場。2015年にはフランスのCMA-CGM社が18000TEUのウルトララージヴェセル(超大型船)を就航した。
運行効率を上げコストを軽減する目的で建造された大型船の登場により市場のシェア争いは激化し運賃の下落を招く。結果、コンテナ船社の経営が極端に悪化し、世界7位といわれた韓国の大手海運会社韓進海運は破綻に追い込まれた。
積んでも積んでも赤字を垂れ流すコンテナのビジネスモデルはまさに出口のみえない、勝者無き泥沼の消耗戦の様相を呈している。
ここで邦船各社は自社の存続とコンテナの定期ビジネスの存続をかけ、3社がお互いに歩みより、コンテナ部門の統合という形で日本の海運事業の柱であったコンテナ事業の存続をまもることを合意し今回の統合劇に繋がった。
世界の海運界の趨勢が一国一船社時代に入る中、日本では運輸省(今の国土交通省)の時代から邦船3社は多すぎとの意見も聞かれたという。政府が介入しての海運集約も俎上に上ったとも。
しかし、今回統合3社のトップがいみじくも言った、この統合は邦船3社が独自の分析と判断により協議決定したことであり、民意であるという点は非常に評価される。
2018年のコンテナ船の新会社立ち上げまであと1年。ターミナルや営業部門、システムの統合など課題は山積みである。ここに来て、商船三井は世界初の20000TEU(20150TEU)積みの超大型船をアジア欧州航路に投入予定という。
統合により年1000億円が削減できるとの目論見がうまく稼動するのか。統合劇の舞台はまだ幕があけたばかりである。
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