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- 第53回 ワインは「科学」か「芸術」か?
ワインを生業(なりわい)とする人にとって、この質問は根源的なものだろう。ブドウ栽培者やワインメーカー(醸造者)にこの質問を すると、まず「うーん」と一旦考えてから、「両方だね」という答えが返ってくる。栽培には植物学、農学、農芸化学などの基礎知識が必要で、醸造者は醸造学、化学などを学ぶのが普通だ。 大学できちんと専門課程を経て、学位の取得を義務付ける国(チリなど)もあれば、アメリカやオーストラリアのように、 師事をしながら体で学んだり、自らの試行錯誤でワインを作ったりするチョイスがある国もある。フランスやイタリアだって、昔は父親の背中を見て、ブドウ栽培から醸造を実地訓練で学ぶ方が主流だったはずだ。とは言え、今ではどこの国でも、 大学や大学院で専門知識を身につけることが当たり前になってきた。
そういう意味ではワインは科学だ。土の分析をし、必要な栄養素を与え、害虫対策を鑑み、太陽光の強さや角度を測定しながら、ブドウの葉と実の生育度合いをコントロールしていく畑の作業も、収穫されたブドウの糖度、酸味、ペーハーを測り、醸造時の温度、使う酵母、栄養素などとの兼ね合いと、黴菌の繁殖具合を横目に、ワインを作っていく過程も正に化学と言える。とは言え、1+1=2にならないのが、ワイン作りの面白さ、チャレンジだ。ブドウ畑では毎年の微妙な天候の差で、発生する虫もカビも変わってくるし、ブドウの木だって毎年、年をとって変化している訳で、教科書通りの対応策なんかでは決して同じ質のブドウはできない。ここに「経験則」や「勘」という主観が入り込む余地がある。ましてや、作ったブドウを売る相手(ワインメーカー)が変わったり、市場のワインの好みが変わったりすれば、作るブドウの仕様だって変えなくてはいけない。
ワインメーカーは更に、柔軟な対応を求められる 。毎年素材が微妙に違っていても、消費者が期待する同じ味のワインを作らなければならないからだ。その一番良い例がシャンペンだ。モエットとボランジェでは、全く違うハウス・スタイルだが、寒い北フランスでは毎年の気候の格差が激しく、どの地域のどのブドウ(シャンペンはシャルドネ、ピノノワール、ムニエの3種で作られる)が、きちんと成熟するかは神のみぞ知るところだ。だから、毎年数十から数百の畑で採れたブドウと、ブドウ品種のブレンド率を変え、更には入れる古酒の比率も調整しながら、誰が飲んでも「これはモエテシャンドンの味」と納得いくものを作ってきた。こう言う神わざは科学ではない。実際、ドンペリを始め、名だたるシャンペンメーカーにこの質問をしてきたが、彼らは一様に「この部分はアート」だと言う。勿論、「化学と経験則に裏打ちれた」芸術という意味だろう。
面白いのは、聞く相手によって、答えが微妙に違うこと。あのシャトーマルゴーの総支配人でワインメーカーだった故ポール・ポンタリエは、「自分は科学者で、ワインに対するスタンスは科学だ」と言い切っていた。翻って、アメリカ最大手で3ドルから12ドルのワインが主流のE. J. ガロのワインメーカーのトム・スミスは、「ワイン作りは科学が半分、あとの半分は『近代芸術』」だと語る。「モダンアート?」と聞き返すと、「ガロには多くの近代設備があり、多少青臭いブドウでも瞬間熱処理をして、熟させることができるし、科学の力を借りながら、創造性のあるワインが作れるから」との説明だった。面白い。
そこで気になるのが、ワインの製造者ではなく、その製造したワインを審査、批判する側の人間(評論家、ソムリエなど)がワインをどう捉えているかだ。個人的に一番信用できないのは、「ワインは芸術」だと言い切る人種。ブドウ栽培、醸造、化学やワインビジネス(流通機構など)という基礎知識を持たずに、有名なワイナリーを巡っては、そこのオーナーの弁を鵜呑みにする。そして「このワインは美しい。何故ならテロワールを重んじ、自然が育てたブドウを使い、伝統に則って手塩をかけて作ったワインだから」などと宣う 。そんなワイン講座やソムリエに巡り会ったら 、ちょっと考えてみよう。人にワインを教えること、誰かが汗水垂らして作ったワインを評価することは、ワイン作りと同等に、知識と責任のあることだと思いませんか?
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