無駄の大資源国、日本
文/在米日本人フォーラム(Text by Japanese Forum USA)
- 2017年12月1日
日本は昔から資源が乏しい国と言われてきている。しかし、ここで実は資源はいくらでもある、と言ったら誰もが怪訝な顔をするに違いない。これは事実である。ここで言う資源とは「無駄」である。つまりこの無駄をなくすことにより時間と金を創生することができる。こう言われると反論する人は少ないだろう。
今回は日本企業の人事にまとわる無駄について考えてみた。
その昔(もう40年前の話)、ある人事部長が人事の職責を全うする上での心得を教えてくれた。それは、「人事とは、縦に規則(Discipline)、横に公平(Fairness)、透かして見れば人情 (Integrity)」というものだった。果たして今の時代の企業の人事は、それだけでやって行けるのか、ふと不安になる。人事という言葉は同じ字を使って、「人事(じんじ)とは、人事(ひとごと)なり」とも読めるだけに厄介な代物のような気がする。
世の中は変わってきた。今はITの時代、それが更にAIの時代に突入しようとしている。しかし、日本企業の人事部はこのような社会の変化にどれほど対応しているのだろうか。新卒を採用し企業内で教育するという昔からのやり方は、少しは変わったのだろうか。そして、応募者の中から人選する基準も少しは変わったのだろうか。などなど、日本企業の人事については、疑問に思うことがいくつもある。
まず、定期採用だが、これは見直されても良いのではないか。学校の卒業が3月であることは変えられない。しかし、このような新卒者をターゲットとした画一的な採用時期が、中途採用の可能性や柔軟性を損なう原因になっているのではないか。例えば採用を年に2回行うというのはどうだろう。1回目は新卒者を対象としたもの、2回目は転職者を対象としてはどうだろうか。今日の社会環境は即戦力を必要としている。これは新卒者ではなかなか対応できないと思う。これに応えるのが中途採用だ。アメリカではこの中途採用の方が主となっている。今後ますます激しくなる技術革新と社会環境の変化に対応して行くためには、この即戦力を持つ人材の採用がより大切な戦略となり、新卒者の採用の方をむしろ補助的なものと位置づけるべきではないだろうか。
採用した新入社員の教育だが、これもあまり進歩したとは思えない。企業が行わなければならない教育とは、各々の企業が10年後をめどに必要と考えられる人材を養成、確保することだ。特に日本企業の目覚ましい海外進出を見るにつけ、ごく近い将来に必要となる人材が十分に確保できているのだろうかと、心配になる。改めて長期的視野に立った人材養成の設計図が必要に思える。
さて、日本の企業では、一定の期間ごとに「人事異動」が行われる。これがまたアメリカでは滅多に見られない日本独特の極めて不思議な行事だ。ある期間が過ぎたら別のセクションに移す、もしこれが、会社の中でできる限り多くのことを経験させるという目的意識を持って行われるなら、反対するものではない。しかし、この異動の繰り返しは、本人の専門分野の開拓と深耕、そしてその経験の蓄積には役立たないし、特定の分野でのプロを育成するにはマイナスそのものと言える。この定期的に行われる人事異動は、果たしてその企業にプラスとなっているかを自問してみてはどうだろうか。
さて、ここでもう一つの提案がある。昔は幹部候補生と呼ばれた人達がいた。最近はというとこのような政策をとる企業があるように思えない。そこで提案だが、入社後2年ないし3年ごろまでに、これはと思う社員を見定めて、その社員には特別な教育体制を用意する。このような方法は、選ばれなかった社員には気の毒だが、チャンスを一回だけに限る必要はないので、何度も挑戦する機会を与えれば良い。企業が成長すれば、彼らが力を発揮する機会は、それだけ多くなるはずだ。そして、より多くの有為の人材を養成し確保すべきだ。その必要性は、いまや時間の問題になっているはずである。
さきほどは提案をしたが、今度は一つ苦言を呈したい。2年後、3年後にどの職に後任者が必要となるかは、かなり先から見えているはずだ。それならなぜその準備をしないのか。例えば、ある日突然中国に赴任せよ、と言うのは随分無理な話と思う。中国に人員を送る必要性をあらかじめ分かっているなら、なぜ適当な社員を選びその準備をさせないのか。さらには、海外駐在を終えると、経験したその国とは全く関係のない部署に配属することがよく見受けられる。もったいない話だ。その国で得た経験を帰国後に十分に発揮してもらうことは、その企業にとって得策だと思うのだがなぜそうしないのだろうか。従前的な人事の習慣の殻を破り、企業の10年先、20年先を見据えた上で必要と考えられる社員の確保、養成に努力しなければその企業の成長、あるいは存続さえ難しい。
最後に、人事にまとわる大きな無駄は、人事部門の肥満である。人の肥満と全く同じで、万病(高血圧、脳梗塞、心筋梗塞、糖尿病、腎臓病などなど)の元になる。これこそ企業の動脈硬化だ。人事部門というものは、どの産業のいかなる企業にも存在する。人事部門が肥大するということは、稼げる部門では無いので言うまでもなくコストだけが増え、そして人員が増えただけそれぞれが仕事のための仕事を創り出す。さらに質(たち)が悪いのは、人事部門が創り出す仕事は部門内の自己完結型の仕事では無く、必ず他部門(生産部門や営業部門)を巻き込みその仕事を増やす。これこそ人事部門にまとわる大きな無駄となる。そのような無駄を避けるには、企業にあっては、必要最小限までぜい肉を削いだスリムな人事部門を常に徹底することである。しかし、「言うは易し、行うは難し。」という諺もあるので、時々、「自分の会社の人事部門はどうか、肥満になっていないか?」、と自らを問うことをお勧めする。
以上を考えると、「人事」の中にも多くの「無駄」があることに気が付くはずである。昔から「人、物、金」と言われてきた。これは今でも全く変わっていない。良き人材なしに企業の成長と発展はない。
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