物流を制すものはビジネスを制すか?
第11回
- 2018年6月26日
ポルトガルのエンリケ王子の名前はご存知だろうか。また、彼の功績は?
エンリケが切り開いた世界への道
欧州の最西端に位置するポルトガルにとって、眼前に広がる大西洋の果てに何があるのかは国民の大きな関心事だった。当時は、地球は平面で水平線の先は滝のようになっていて、そこに近づくと滝壺に吸い寄せられると考えられていた。それを恐れて、海で働く多くの男たちも遠くまで沖に出ることを躊躇した。
1394年、ポルトガル王ジョアン1世の第5子の三男として、エンリケは誕生する。成人した彼は熱心なキリスト教徒として、キリスト騎士団の指導者へと成長する。キリスト教の布教にも力を入れ、同時に新たな布教地を探していた。
彼の生涯は探検事業家。パトロンとして航海者たちを援助するとともに指導し、それまで未知の領域であったアフリカ西岸を踏破させるなどしたことで、大航海時代の幕を開いた重要な人物である。
ポルトガルは、アフリカ西岸を中心にインドへの走破なども企画していたという。そんななか、彼の事績は後のジョアン2世の時代におけるポルトガルの海外進出への道筋をつけるものとなり、彼の死後、1488年には、ポルトガルはアフリカの最南端の喜望峰を極めるのである。
その後もポルトガルの航海への挑戦は続き、大西洋を渡って南米に至り、ブラジルを植民地に抑えることとなる。大航海時代の幕を開いたエンリケの名は、その死後、「航海王子」の敬称として今日に至っている。
スペインが抑えた制海権
イベリア半島の西端に位置するスペインもポルトガルの海外進出に刺激され、航海に乗り出す。のちに中南米を中心にその植民地を拡大し、世界の大スペイン王国を築くのである。
ポルトガル、スペインなどが植民地を拡大できた最大の要因は、大西洋への航海を行い、軍隊と物資を運べる海上輸送ルートを構築したことが大きい。いわゆる制海権を抑えたのだ。特にスペインは無敵艦隊とまで呼ばれた強大な海軍を持ち、近隣諸国が航海に出ようとするのを妨げた。スペインは制海権を抑えたことで、自国に有利な条件での取引が可能となった。スペインはまさに世界最強の国家であり、向かうところ敵なしだった。この国は100年近くにわたって大西洋の制海権を持ち続け、植民地を拡大し続けた。
スペインを抑えたイングランド
しかし、隆盛を極めたスペインも1588年、イングランドとのアルマダの海戦で敗れて以降は制海権をイングランドに奪われ、その勢いは徐々に失速する。スペインに代わって海を制したイングランドは大西洋を渡り、また、アフリカを迂回してインド洋に出て、アジアに接近。オセアニア地域で植民地を広げていく。
さらに大西洋から北米大陸に渡り、自国の領土を拡大するのである。ディズニーの映画でも有名な「ポカホンタス」のモデルになった英国人とアメリカインディアンの娘の話は、こうしたイングランドの植民地時代の話で、どれほどイングランドがアメリカと関わったかを想像させるに足る。
イングランドも、ポルトガル、スペインに負けない広範囲な植民地を構築していく。そして彼らは、江戸時代の末期に東の果ての日本に姿を見せるのである。
カギとなるのは「制海権」
この欧州3国の歴史を紐解く時に欠かせないのが、彼らが制海権を奪い合い、それを手中に納めた国のみが栄光栄華を極めることができたということだ。実は、この制海権を握るということが、このコラムの主題となる「物流を制すものはビジネスを制す」の原型なのである。ポルトガルもスペインも、イングランドも、その後の欧米列強はすべからく制海権を握ることで自国の領土を広げ、自国に有益な貿易や商売を展開したのだ。
かつて第二次世界大戦に踏み切った日本は、日本の産業の要である石油のルートを抑えられたことで敗戦が早まったといわれている。物流の流れを止めることは、一国の運命さえも変えてしまうのだ。
今は世界有数の企業に成長したアマゾンは、その物流面に多くの投資をするという。それは、制海権を奪われないための当然かつ必須の条件である。中国が進める一帯一路も、畢竟するに輸送ルートの安全、完全確保である。
売ろうとする製品以上にその製品の輸送ルートを確保し、物流網を構築する。私たちが過去から学ぶことができるのは、制海権を握ったものが世界を制すということ。物流を制するものがビジネスを制すという普遍の法則そのものである。
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