物流を制すものはビジネスを制すか?
第16回
- 2018年12月20日
コンテナ船の出現とボックスレート
前号で触れたように、もともと海上運賃は、製品の品目によって決められていた「コモディティ・レート」が主流であった。しかし、コンテナの出現により、コモディティ・レートを維持することが難しくなっていった。
理由は簡単だ。たとえば、日本からの輸出の主要アイテムになっていく電気製品のコモディティ・レートが1M3(縦・横・高さの3方が1メートル)で100ドルだとすると、40フィートのコンテナには約50M3を詰めることができるとした場合、単純に運賃は5000ドルとなる。
コンテナの登場直後はこのレートが適用されていた。特に同盟船社はコモディティ・レートを使用することを前提としているので、同盟に加入する荷主はこの運賃で運ぶこととなる。
一方、コンテナ船の登場以後にメイン航路に参入した盟外船群は、コモディティ・レートでなく、品目別のボックスレートを設定して営業をスタートした。電気製品の40フィートの運賃を4000ドルと設定することにより、同盟船社の運賃に対抗したのだ。そのため、同じ品目を運んでも40フィートあたり1000ドルの運賃差が出てくる。
同盟に加入する荷主のなかには、禁を犯して盟外船を使用する荷主も出てきた。運ぶ数量の多い荷主になればなるほど、差額が積み重なっていくと負担感も強くなっていく。徐々に盟外船へのシフトが始まった。
欧州運賃同盟の崩壊
同盟船社も黙って指を加えているわけにはいかない。もともと同盟船社と同盟荷主の間にはブッキング・コミッション制度というのがあった。ブッキングをした荷主に船積みが終わった後、3%前後のコミッションが支払われるようになっていたのだ。これも同盟荷主を同盟に食い止める手段でもあった。
しかし、差額が大きくなれば、コミッションだけではその差を埋めるほどにはならないことが多い。そこから同盟船社がとった対抗策が、コミッションの歩合を増やすことであった。ブッキング・コミッションを当初の3%から5%、5%から10%と際限なく拡大させていった。
このように盟外船社への対抗策として実行されたブッキング・コミッションの歩合を広げる行為は、結果として同盟内部での荷主の奪い合いを発生させた。同じ同盟に加入し、共同運航の船にブッキングをしても、ブッキングする船社によってコミッションの割合が違うという現象が起きたのだ。
このコミッションは当時2つの頭文字で表され、どちらも社外秘扱いとされた。その2つの頭文字とは、何だったのか。業界の闇を取り上げるようで気も引けるが、まあ30年前のことなので、時効として記載する。それは「C」と「P」と呼ばれた。
CとはCOMPANYのことで、ブッキングをする荷主にキックバックとしてコミッションを返す方法であった。もともとコミッションは公にされた合法的なものであったが、ここにいわれるCのコミッションは桁が違っていた。運賃の40〜50%、なかには70%などが当たり前であった時代もあった。
このように、同盟船社は盟外船社や同じ同盟船社から荷主を奪われないように、コミッションを乱発したのだ。コモディティ・レートの合計が5000ドルであっても、実質的な運賃は2000ドルであったりした。
一方、Pといわれたコミッションがあった。これは社によって名称が違ううえ、社外秘であったことから、当然、公にはされていない。では、このPとは何なのか。それは、PERSONの頭文字のPのことだ。すなわち個人宛のコミッションのことだった。船積み担当者個人に支払われるコミッションのことである。
同盟荷主の船積み担当者のなかには、会社への貢献として会社宛のブッキングコミッションをCとして船社から受け取り、個人的には指定船社から袖の下(コミッション)を受け取っていた。運賃の決定、運用も同盟内部で秘密裏に決められていた同盟のなかでも、特に密閉度が高く、「クローズド・コンファレンス」といわれた欧州運賃同盟において、このコミッションは顕著であった。
同盟船社は同盟に入っているがためにコモディティ・レートの呪縛から離れることができずに、PやCといったコミッションの乱用によって会社経営が行き詰まっていった。時代はすでに同盟を歴史の後方に追いやっていたのだった。
次回に続く。
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