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CCPA

2020年1月、カリフォルニア州では住民のプライバシーと消費者保護を目的とした新たな法律が発効する。この法律の施行後、どんなリスクが発生しうるのか、企業としてどのような対応が必要となるのか、まだ見ぬ未来を予想して、想定されるケースを物語仕立てで分かりやすく紹介。

12月でも、どこまでも碧いカリフォルニアの空は、故郷の札幌の空に似ている。こどもの頃見上げていた藻岩山の代わりに、パロスバーデスの山を横目に井上はオフィスに向かった。6年前に立ち上げた新規事業はやっと軌道に乗り、黒字化への目処が立った。アメリカが成功すれば、いよいよ本社に凱旋帰国か……自然にニヤニヤしてしまう、気分のいい朝だった。

「その他に報告はありますか?」。いつもの報告会が終わったら夕方の東京の人事との電話会議の前に懇意にしている常務に本社の状況を伺うメールを書こう、そんな考えを中断するように現地採用で総務を任せている佐藤が手を上げた。「あのう、先日届いていたカリフォルニア州当局からの手紙ですが……。弁護士に相談したところ、対応が必要なので会議を設定したいとのことでした。早速、来週にも会いたいそうです」。

法学部だった井上だが、法律に対しては半年で諦めた司法試験以来、一貫して苦手意識があった。いや、法律が苦手なのではなく、法務の人間のなんともいえない暗さが、営業で結果を出してきたと自負している井上には苦手だった。無論、そんなことはおくびにも出さずにしっかり対応してくださいと無難にコメントして会議を終えた。
アメリカに赴任する前のフィリピンでも労働組合から訴えると騒がれたが、現地採用の総務にトラブル対応案件として一任して、結局は本社に報告することもなく事なきを得た。今回もそうなるんだろうと思い、そのことは忘れていた。

「Konnichiwa Inoue-san」。笑顔だが目は笑っていないカリフォルニアでは珍しいスーツを着たアメリカ人の弁護士と握手をした後に、ロサンゼルスのダウンタウンのど真ん中の大きな会議室の椅子に座った。カラープリントされた分厚い資料に基づいて専門用語が飛び交うプレゼンを聞いているのは苦痛そのものだった。厄介なのはこちらが上の空だと分かると、ビジネスについて教えてほしいと言われ、基本的な商品の説明や体制について説明を求められることだった。「なるほど、御社の業態はオンラインでアマゾンのようなB2Cですね」。聞いたことがあるようなバズワードを並べる、もっともらしく聞こえるコメントだ。しかし本質的に勘違いが多い点が気になったが、いちいち修正をしていたらいつまでも会議が終わらない気がした。結局2時間過ごしてぐったりとした気分でオフィスに戻った。

「佐藤さん、うちの本社は大きいけれど、アメリカの新規事業は独立採算でやっている。売上が伸びる投資はしたいけど、バックオフィスは必要最低限でお願いしますね。まだできて数年の日本から進出してきたうちに当局が手紙って言っても、何かの勘違いかもしれないし」。露骨には言いたくないが、単黒が射程距離に入っている今、とにかく売上に注力した大事な時ということを、バックオフィスにも分かってほしいという思いをこめて言った。「はあ、今回は新しいプライバシー対応なので……」と佐藤。

プライバシー対応? 数年前に本社がコンサルに莫大な費用をかけて今では誰も使わないようなシステムを導入して、結局目に見える効果はPマークの取得だけだったことを思い出した。「佐藤さん、プライバシー対応っていっても、本社はPマークも取っているし、数年前もGDPR対応だっていって、大きなプロジェクトを完了したばかりです」。金食い虫のバックオフィスは売上に貢献できないんだから、とにかく安く、営業の時間を取らないで適当に対応してくれ、うちはちゃんとプライバシー対応をしているのだから、うちには関係ないだろう! そんなことを言えるわけもなく、「具体的な提案をしてください」と伝えた。

「パパー」。日系保育園から帰った6歳の娘が元気よく飛びついてきた。「今夜も日本と電話会議があるのかしら? ないなら、後で近所にお届けものがあるからこどもを見ておいてもらえるかしら?」。所謂、駐妻として人生を謳歌している妻が言った。「ああ、今夜は遅い時間に専務と話すから、こどもが起きている時間は大丈夫だよ」。合コンで会った頃の妻は日本の航空会社のCAで、将来の夢は海外赴任についていくことだった。駐在先がフィリピンだったら結婚しなかったと平然と言ったが、カリフォルニア駐在で彼女の夢を自分は叶えたことになる。そんなことはおくびにも出さずに、家ではイクメンを決め込んでいる。それは団塊の世代の父親が仕事だといってほとんど家にいなかったことへの反発かもしれない。

「専務さんにいよいよ黒字化するって伝えたら、本社に帰れって言われるのかしら?」。不安そうに妻が言う。「新規事業をうまく立ち上げたんだから、そういう人間を本社もほっておかないだろう」。むしろ上に上がるチャンスだぞ、そんな思いをこめた言葉だった。「むしろほっておいてくれてもいいのに、こどもが大学に行く頃までは」。確かにこどもの教育を考えると必死に現地に居残ろうとする人間が少なからずいることは知っている。でも自分はむしろ本社側の人間だ。そんなことも分からないのか。なんだかイライラしている自分がいる。

「なんだか面倒くさいプライバシーの対応があってさあ」。話題を変えた。「プライバシー? アメリカはいろいろとうるさいわね。先日も運動会の写真を撮るにも2ページもある契約書にサインさせられたわよ」。え? そんなことがあったのか。こどものことはすっかり任せきりにしていたが、妻の口からプライバシーなんて言葉が出ることに驚いた。「私だって飛んでいた時はうるさく言われたわよ。支給されたタブレットでどの席に誰が座っていて、どの会社に勤めているか、全部見られたもの。それで狙いを定めて話しかける子もいたわよ」。そんなことは知らなかった。驚いていると見透かされたように言われた。「あ、でもエコノミークラスじゃあ、全員の詳細なんて見ないわよ。ビジネスクラス以上の場合は気を使うから」。そうか、本社に役員にならないとビジネスクラスには乗れない。改めて気合が入った。

「なんだこれ?」。思わず声を荒らげた。メールで転送されて来たのはちょっとした車が買えるような法律事務所からの請求書と、プロジェクトの概算として数千万円の提案だった。佐藤に任せていられない、危機感を持った井上は大学時代に司法試験を諦めずに弁護士になった旧友にメールをした。“ビジネスの話が分かる弁護士が必要だけど、カリフォルニアに誰かいる? 大手に行ったらとんでもない請求書が来て、具体的に何をしていいか分からない”。そんなメールにすぐに返事があった。“大手企業と一緒だよ。細分化されているから一貫して分かる人を探すなら、自分のビジネスを理解してくれる弁護士を探さないと。一人紹介するから話をしてみてくれ”。数年連絡もしていなかったが、頼もしい返事が来た。専門バカと陰口を叩いてごめん、素直に心のなかで謝った。

紹介された弁護士は、サラリーマン経験もあり、ITの知見もあるとのことだったので興味本位で会いに行った。小綺麗なシェアオフィスの会議室に通された。「今流行のシェアオフィスもなかなか綺麗ですねえ」。初めて入ったシェアオフィスに対する素直な感想だ。「はい、大きなオフィスとか、あまりクライアントの利益にならないところにお金を使ってもしょうがないかなと思いまして。経営者としての判断です」。現地責任者としてPL責任がある井上には響くものがあった。「早速ですがご相談があります」。

「カリフォルニア州当局から、あるオンライン販売の顧客の情報開示要求に応えなかったことに関して質問状が来ています。大手事務所に相談するとかなり大きな予算のプロジェクトが必要だと言われ、どうすればよいか分かりません。本社ではGDPR対応もしており、Pマークも取得しているので、CCPR対応と言われても具体的に何をすればよいのでしょうか?」。井上は不安を一気に吐き出した。「なるほど、プライバシー、GDPR, CCPA、個人情報、いろんな言葉が出てきて困惑されますね。ジョージ・オーウェルはお好きですか?」。

「動物農場のですか?」。確か大学時代に読まされた記憶があるが、あらすじはすっかり忘れていた。「そうです、1984年という本も書いています。その本では、政府がありとあらゆる情報を手に入れ、国民を監視する世界が描かれています」。なんだか文学の話になってきたぞ。一体それがどう関係するのだろうか。

Gmailにログインをして、いつどのメールにどのくらい時間を使い、その後に何を検索して、Google Mapでどこに行ったか。そこでAppleが信用調査をしたクレジットカードを使って何を買って、食べた写真をFacebookで誰にどんなメッセージとともに送ったか。その夜、Amazonで何を買ったのか。現在、それらはデータとして分析可能な状態で保管され、使われている。過去のデータから便利なリコメンデーション機能を使って、煩わしい日常から解放される、それこそGAFA(Google、Apple、Facebook、Amazon)が実現する世界なのではないだろうか? 新規事業をするにあたり、GAFAを目指せ、ユニコーンだAIだと言っているが、その先にある世界の何が問題なんだろう?

「過去の行動履歴と住んでいる場所、年齢などから、GAFAが代表する私企業にとって最適化した選択肢のみをあなたに提供する世界は、ともすればGAFAにとって都合のよい世界ではないでしょうか? 偶然は仕組まれた結果であり、人間は目の前にぶら下がった選択肢の中だけで生きる動物になってしまいます。そんな世界において、人間の尊厳はどうなるんでしょう?」と弁護士は言う。

ふと娘を思った。元気な娘の成長の記録はGoogle Photoにバックアップされ、Amazonで年齢に応じたオーダーがされ、Facebookで親族にイベントごとにメッセージを送り、AppleのiPadでゲームをしている。彼女が成人した時に、過去の行動履歴から私企業が考えるベストな選択肢として何を買うか、どんな教育を受けるか、何を仕事として誰と結婚し、どんな家に住み、どんなところに休暇に行き……身の丈に合った選択肢だけを安易に提供されて、自分の可能性は目の前のリコメンデーションから選ぶ。

あれは高校3年生の夏だった。「大学は北大に行けなかったら、就職しろ。札幌が一番いいところだから」。たまに家にいると不機嫌な父親が自分に一方的に言った言葉は、死刑宣告のように思えた。学校の帰りに、見つかったら捨てられるファッション誌を立ち読みして、いつか表参道で最新のファッションに身を固めた自分と、ファッション誌から出てきたような読モの彼女とデートをする、そんな淡い未来を夢見ていた。この家から出よう、札幌から出よう、故郷から出よう。きっと自分の知らない世界がある。東京に行けば、海外に行けば、シリコンバレーに行けば、きっと自分の見えない世界が広がっている。ある意味、無邪気なこの思いこそが自分を掻き立て、勇気づけ、一歩ずつ進んで来て今の自分がある。過去のしがらみの上に自分があるのではない、見えない未来が自分を作っているんだ。

「娘が見えるが、誰かが一方的に決めた身の丈に合った選択肢だけなんて、未来じゃない!」。井上は思わず叫んでいた。沈黙が続いた。「プライバシーとは、情報を管理する権利です。自己の情報がどんな形で保管されているか、知る権利、削除する権利、利用制限をかける権利、アクセスする権利、サービスの平等な提供を受ける権利。それらをヨーロッパが制度化したものがGDPR( General Data Protection Regulation)、カリフォルニア州が制度化したものがCCPA(California Consumer Privacy Act)です」。

「現在、包括的なプライバシー法を制度化したのはEUが最初ですが、米国においても連邦政府(Federal Government)による法律ができる前に、それぞれの州が独自の対応をしている状態です」。なるほど、まだまだどこがどのような規制を作ってくるのか、分からない状態ということか。

「カリフォルニア州民に対して一定数以上の個人情報(5万人分)を取得、もしくは利用するビジネスで一定の売上(2500万ドル)を行う場合はCCPAの対象になります」。売上は残念ながら達していないので、問題はない。個人情報はオンラインストアで登録をしているユーザーがいる。ここ3年で考えると年間1万6700件、月間1400件、日間で50件。最近の売上の伸びを見ると、ここが引っかかることになる。

「個人情報の定義が非常に広く、特定の消費者もしくは家庭を直接もしくは間接的に特定、関連、説明することが可能、もしくは合理的に結ぶことができる情報と定義されています」。呪文のような文言に圧倒されたが、思っていたよりも遥かに広い定義だという点は理解した。

「大丈夫です、データを愚直に集めていけばいいのです。どんなデータがどこで、どうやって入ってきて、どのように処理されているか、一つずつ追っていけば御社の状況が分かります。状況が分かったら、本当に必要な情報かどうか、吟味していくんです。業務改善だと思ってください」。業務改善! 聞き慣れた言葉に井上は安心した。そうか、コンプライアンスだ、バックオフィスだと思うからやる気が起こらないのであって、業務改善として考えると自分のむしろ得意領域だ。

「分かりました。では法務の人間を担当にすぐにプロジェクトを開始します」。井上は意気揚々と言った。「いや、法務の人間はやめてください」。なぜ? そんな表情をする井上に弁護士は言った。「法務ではなく業務の人を担当にしてください。すべての法務判断はビジネス判断です」。

執筆
吉田 大 弁護士(ブラックベルトリーガル弁護士法人)

GE、BLACKROCK、SONYでの業務改善、エンジニア、弁護士を経てブラックベルトリーガル弁護士法人を設立。オイシックスによる米国企業買収、スタートアップやVCへの出資案件、訴訟対応を含め活躍。エンジェル投資やシリコンバレーのスタートアップの日本進出も実施。カリフォルニア在住11年。
メール:client@blackbeltlegal.com
http://blackbeltlegal.com
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