第72回 宿題

折り紙のツル

毎年元旦には決まって行くところがある。日本人妻だけの「おせちパーティ」だ。もう20年以上も続いている。米国人夫を家に残し、5〜6人の日本人妻たちだけが、おせち料理を食べながら心おきなく日本語でおしゃべりする会だ。40〜50年前に後にした記憶に残る日本を偲びながら、元旦の穏やかな午後の光を浴び、新年を一緒に迎える。

持ち寄りの手作りおせちは、上手下手があっても、みなおいしい。満腹になり、日本語を思いっきりしゃべった後は、ひと時のしあわせに浸る。ところがこの会はその後に恐ろしいことが起こるのだ。人生そんなに甘くない。それは、この後に会の主催者から、宿題が出ることだ。

「さあ、じゃあ、百人一首をしようか」と声がかかる。上の句が読まれて下の句のカルタを取るゲームだ。古典の短歌はとうの昔に忘れ去っている。できるわけがない。難易度が高すぎると満場一致で却下された。それならと、代わりに折り紙になった。折り慣れた鶴や風船かと思いきや、まったく新しい形を折るという。これがなかなかできない。見て、その動きを指で真似ることができない。折り紙初体験の米国人ができないわけだ。SUDOKUが出たこともある。スドクという言葉さえ知らない時で、これも面食らった。え~と、26+17は? 錆びた頭の歯車はなかなか回らない。ある時には、「さあ歌いましょう」と、初見で歌う楽譜を渡されたこともある。これらの課題に悪戦苦闘し、できないねえ、と互いのヘマを笑い合いながら挑戦する。ギブアップという選択肢はない。これがこのおせちパーティの最後に出る恐怖の宿題だ。

以前、作家の曽野綾子さんがこんなことを言っていた。「人はそれぞれ天から宿題をもらって生まれてくる。難しげに見える宿題、簡単そうに見える宿題、楽しげな宿題、楽しくなさそうな宿題と、各々もらう宿題が違う。命が終わる時にその宿題を提出しなければならない。宿題の答えは一つではない。いろいろ違った答えがある。人生とはそういうものではないか」と。

先祖代々の名家に生まれたら、健康で裕福な生活があり、高い教育を受けられるだろう。周りも同類の人たちだから、敷かれたレールの上を素直に走っていれば、おのずと豊かな人生が約束されている。反対に麻薬常習者の貧困家庭に生まれたら、まともな住宅さえなく、食物もロクにない。飢えを凌ぐため、手近な麻薬販売人に誘われ、仲間に引き込まれる。大人になる前にグループ抗争の巻き添えを食い、撃ち殺され、短い命を終えるかもしれない。たとえ生き延びてもまともな仕事に就けるわけもなく、それしか知らない貧困の中で苦しく短い一生を終える。この両極端の出生の相違の間に、たくさんの異なった出生がある。

どの出生にも、長所と短所がある。羨ましい出生でも、最初から物欲が満たされていると人は慣れ、退屈し始める。さらなる刺激を求めて、アルコールや麻薬に手を出す。この依存症に陥ったら抜け出すのは至難の業で、周りの人々を巻き添えにして崩壊する。

一方、苦しい出生環境にも関わらず、そこから立ち上がり、人や社会のシステムの助けを借り、みずから道を切り開き、社会の中で活躍する人もいる。苦しい出生をバネにした時、人は強靭で優しい人になる。

また、豊かな環境に生まれた人の中にも、それに甘んずることなく果たさなければならない義務を十分に理解し、声を挙げられない弱者を代弁し、助ける人がいる。そういう人は、ノブレス・オブリージュを備えた立派な人間になる。

出生は不公平である。親は選べない。しかし、出生を自分に課された宿題と捉えれば、どういう回答を提出するかは選べる。宿題が千差万別だから、答えも千差万別。他人と比べてみても意味がない。もらった宿題が違うのだから。何を目標にし、どう失敗し、失望し、もがき苦しみ、立ち上がり、悔し涙を拭いた後に小さな喜びを勝ち得たか、そのストーリーが宿題のリポートとなる。生きることが俄然おもしろくなってゆく。

より良い自分と意味のある人生を目指して挑戦することは誰にでも選べる。人がチャレンジする涙ぐましい姿を見た時に、失敗成功に関わらず、私たちは心を奪われるのではないか。魅力的な宿題の答えはこういう人間の姿の中にこそあるのではないか、と思ったりする。

人の命は約3万日だそうだ。私はすでに4分の3を使い果たした。宿題はまだ完成していない。でもまだ4分の1が残っている。宿題提出期限まで、試行錯誤の日々に挑む。

この記事が気に入りましたか?

US FrontLineは毎日アメリカの最新情報を日本語でお届けします

樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

樋口ちづ子 (Chizuko Higuchi)

ライタープロフィール

カリフォルニア州オレンジ郡在住。気がつけばアメリカに暮らしてもう43年。1976年に渡米し、アラバマを皮切りに全米各地を仕事で回る。ラスベガスで結婚、一女の母に。カリフォルニアで美術を学び、あさひ学園教師やビジュアルアーツ教師を経て、1999年から不動産業に従事。山口県萩市出身。早稲田大学卒。

この著者への感想・コメントはこちらから

Name / お名前*

Email*

Comment / 本文

この著者の最新の記事

関連記事

アメリカの移民法・ビザ
アメリカから日本への帰国
アメリカのビジネス
アメリカの人材採用

注目の記事

  1. 今年、UCを卒業するニナは大学で上級の日本語クラスを取っていた。どんな授業内容か、課題には...
  2. ニューヨーク風景 アメリカにある程度、あるいは長年住んでいる人なら分かると思うが、外国である...
  3. 広大な「バッファロー狩りの断崖」。かつて壮絶な狩猟が行われていたことが想像できないほど、 現在は穏...
  4. ©Kevin Baird/Flickr LOHASの聖地 Boulder, Colorad...
  5. アメリカ在住者で子どもがいる方なら「イマージョンプログラム」という言葉を聞いたことがあるか...
  6. 2024年2月9日

    劣化する命、育つ命
    フローレンス 誰もが年を取る。アンチエイジングに積極的に取り組まれている方はそれなりの成果が...
  7. 長さ8キロ、幅1キロの面積を持つミグアシャ国立公園は、脊椎動物の化石が埋まった岩層を保護するために...
  8. 本稿は、特に日系企業で1年を通して米国に滞在する駐在員が連邦税務申告書「Form 1040...
ページ上部へ戻る