第27回 紙一重
文&写真/樋口ちづ子(Text and photos by Chizuko Higuchi)
- 2015年7月20日
世の中には紙一重で明暗を分ける時がある。もう20年も前の話だが、思い出す度に冷や汗が出る。誰の身にも起こりうることだから。昔も今も将来も。
その頃ある前衛的なビジュアルアーティストのグループに入っていた。ギャラリーで年に何度か個展をする。仲間をサポートする為に、月に一度、ギャラリーの開け閉めと、店番の義務があった。その時は2年に一度の大きな公募展だった。小さなギャラリーなのに応募作品数は300点を超え、約50点が選ばれ、展示されていた。性が命にどう関わっているかがテーマだった。アーティストは胸の底に巣くっている人間の真実を抉り出し、視覚でそれを表現するから、作品はどぎつく赤裸々なものとなる。ロス郊外、サンタアナ市は荒れ果てたダウンタウンを再開発するプロジェクトを推進し、アートディストリクトを造った。ギャラリーは間口が狭く、うなぎの寝床のように奥が深かった。店番の机は一番奥にあり、裏は作品を保管する倉庫になっていた。
その日、ギャラリーに足を踏み入れた途端にギョッとした。目に飛び込んできたのは床一面に広がった大きな作品。数千個、いや、数千本と言ったほうが正確だろう男性器が無数のきのこのように床に立っていた。良く見ると、それぞれの先にキュリー夫人、マザーテレサ、サッチャー英国首相などの歴史に名を残す女性たちの顔が丁寧に描かれていた。絵の好きな人なら、一枚の絵を見ただけで、その画家の力量はほぼ判る。上手かった。度肝を抜く作品だが、一つ一つが繊細な仕上がりで、とてつもない数でダイナミックな作品になっていた。明らかに何かの主張があるアート作品だが、内心「困ったな」と思った、あまりにもリアルな形は、ポルノと誤解されかねない。作品が頭に訴える力があるか、紙一重の差だ。
昼前の人通りのない時だった。4人の体の大きな若者が入って来た。壁には女性器そのものを描いた作品もあった。彼らは身体を左右に振り、ニタニタ笑いながら近づいて来た。私の座っていた机を取り囲んだ。まずい。逃げられない。一人が電話線を引き抜いた。反動で机から電話器がコンクリートの床に音を立てて落ちた。一瞬の出来事だ。
「俺はよう、ガールフレンドを妊娠させたんだぜ」と一人が言った。彼らはヘラヘラと笑った。私には「あんたもやってやろうか」と聞こえた。「裏に行こうか」と顔が迫ってきた。頭の中がグルグルする。落ち着け、と自分に言い聞かせた。出口が遠くにかすんで見えた。裏に引きずり込まれたら終わりだ。迫った顔を見るとまだ高校生のドロップアウトのようだった。彼らが私に触ったら、一旦回りだした衝動は止められない。4人もいる。
カラカラの喉からかろうじて声が出た。「今日、学校どうしたの」「学校なんて、おもしろくねえよ」「じゃあ、働いているの、何処で?」「車の修理工場」「えー、車のこと判るの、凄いじゃない」教師時代の度胸で相手を生徒扱いするしかない。学校、仕事、彼らの家族の話などで油断させ、気を抜かせたが、取り囲んだままなかなか離れない。胸の鼓動を悟られないように、会話を続けた。4人が周りに腰かけた時、ついに、チャンスが来た。私は立ち上がって、いっきに出口に向かって走った。つかまらないように、それだけを祈った。隣店に駆け込み、ポリスを呼んで、と叫んだ。警察はすぐに来てくれたが、彼らは姿を消していた。駆けつけたギャラリーの代表者は私の無事を喜んでくれ、警察は1日2回巡回してくれることになった。
あの、何十分かの恐ろしい時間。悪く転がれば集団レイプ、証拠隠滅の為の殺人も起こりえた。性の衝動は生きるエネルギーで悪ではない。表現の仕方でポルノにもアートにもなる。その衝動が悪の方向に回り出すか、食い止められるかも紙一重。逃げられたのは、ラック以外の何ものでもない。
恐ろしいことは、何でもない日常の顔をして一瞬の内に起こる。明暗を分けるのは、紙一重であると、頭の隅でいつも緊張している。
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