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- 裏ななつ星紀行〜古代編 万葉ゆかりの地を訪ねて 葛城・宇陀の旅 第五話
裏ななつ星紀行〜古代編
万葉ゆかりの地を訪ねて 葛城・宇陀の旅
第五話
文/片山恭一(Text by Kyoichi Katayama)
写真/小平尚典(Photos by Naonori Kohira)
- 2016年5月28日
- 2016年6月号掲載
折口信夫は「国文学の発生(第四稿)」のなかで、「呪言はもと、神が精霊に命ずる詞として発生した。自分は優れた神だということを示して、その権威を感銘させるのであった」と述べている。折口が「ホ」の音に着目したことは、よく知られている。「ほぐ(祝ぐ)」や「ほむ(褒む)」など、「ほ」を語幹とする動詞は、もともと神が精霊に向かって働きかける動作を意味していた。「ことほぎ(寿ぎ・言祝ぎ)」の詞に感応して、稲に宿っている精霊が「ほ(穂)」を出す。これが「よごと(寿詞)」や「のりと(祝詞)」の古い形式であった、と折口は考える。
最初は神の一方的な託宣であったものが、しだいに神と精霊の問答として様式化されてくる。つまり神の言葉に答えて、精霊の方も何か言うわけだ。もちろん実際の神事では、神に扮した人間と精霊に扮した人間との問答になる。それが神に扮する人間と神を接待する村の処女との問答になり、さらには村の男と女の掛け合いになっていった、というのが折口の説である。おそらく穂を出す、実をつけるといった自然現象は、生殖行為とのアナロジーによって、神に扮する男と精霊に扮する女のやりとりに転化しやすかったのだろう。こうした過程を経て、五穀豊穣を祈願するための神事が、「うたがき(歌垣)」のような男女の性欲的な問答へ発展していき、さらに時代が下ると、相聞に見られる恋愛詩的なものになっていったと考えられる。
白川静も同様のことを述べている。氏族共同体の時代には、神事的な習俗として行われていた草摘みが、共同体的紐帯の弛緩とともに、私的な予祝行為として行われるようになった。『万葉集』にみえる草摘みの歌は、そうした時代のものだというのだ。豪族勢力が伸長し、地域的政権が成立するなかから、王朝的な統一政権が樹立されるに及んで、古い共同体は解体していかざるを得なかった。律令制的な新しい国のしくみのもとで、社会構造は変質し、古代的な共同体の秩序は失われていく。それにともない、元来は氏族共同体的な神事として行われていた草摘みが、しだいに個人的な動機によって行われるようになったということだろう。
君がため 浮沼の池の ひし採むと
我が染めし袖 ぬれにけるかも(七・一二四九)人麻呂
君がため 山田の澤に ゑぐ採むと
雪消の水に 裳のすそぬれぬ(十・一八三九)不詳
妹がため 菅の実採とりに 行く吾を
山路にまどひ この日暮しつ(七・一二五〇)人麻呂
これらの歌で「ヒシ」や「クワイ」や「ヤマスゲ」の実を採ることは、「あの人に差し上げるために」ではなかったはずだ。そのような現物贈与のために採集が行われたのではなく、先の春菜摘みの歌と同様に、神々との約束を果たすことによって自分の魂を相手に魂に合一させようという、魂振り的な行為だった。こうした「君がため」「妹がため」という発想をとる歌は、『万葉集』のなかには非常に多く見られる。いわば紋切型の常套的表現と言っていいだろう。「片歌」や「旋頭歌」の古い形式が、類型は類型のままに個人的な契機の方へ引き寄せられていった。そして徐々に相聞的な予祝の歌に転化していったということだと思う。
それにしても、歌に込められた真実味という点ではどうだろう。あまりにも類型的といか、ただ雛型に適当な言葉を入れただけのような歌に見えないこともない。これらは本当に恋愛詩なのだろうか。ある特定の一人の相手を念頭において詠まれたものなのだろうか。たしかに「君がため」「妹がため」とうたわれてはいるのですが、どこか外面的、形式的な感じを拭えない。当事者でなくても、誰か第三者でも、容易につくれそうな歌である。個の表現というよりも、なお集団的な表出行為という側面が強いようにも感じられる。
本連載のフロントラインでの掲載は、今回で終了します。今までご愛読いただき、ありがとうございました。「裏ななつ星紀行〜古代編」の続きは、こちらのリンクからお楽しみください。
http://bp.shogakukan.co.jp/yoshino/index.html
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