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教育 - 学校の教育内容に関して(後編)
文/在米日本人フォーラム(Text by Japanese Forum USA)
- 2017年5月1日
日本人は自国に対する認識や歴史認識が他の国の人より弱い、それって本当?
3.母国への認識の教育
ここで提言するものは、思想的に右傾とか、軍国主義とは一切関係ありません。あくまで日本国民として普通に持つべき母国への認識をもっと培って欲しいという切望からの提言です。
日本の外にいると、母国、日本への思いが強くなりますし、祖国愛も一段と芽生えます。
今の日本の教育においては、「愛国」という言葉はタブー視されていると聞きます。世界中のどの国民も有している母国を愛することを、日本ではどうして教育に取り入れることができないのでしょう。日本では約70-75年前の第二次世界大戦の亡霊をずっと引きずっていて、「愛国」という2文字に対しいまだに拒絶反応を起こすのだと思います。それなら「愛国」という言葉を使わなくてもいいので、そろそろ正しく「国を愛する」教育を取り入れて欲しいものです。
アメリカで時々うらやましい光景があります。それは国歌吹奏の時、国旗掲揚の時です。アメリカの人たちは、国歌にも国旗に対しても、貧富の差、教育水準の差、人種・性別・年齢の違いに一切関係なく、尊崇の意を表します。一旦、国歌が吹奏される又は国旗が掲揚される時は、全ての人たちが即座に起立・脱帽、そして右手を左胸の前にあてて、国歌・国旗への忠誠を示します。更に、その対象が他国の国旗・国歌であっても、同じ行為・態度をとります。アメリカでは、国旗は学校にも一般の諸所に置かれていますし、アメリカの小学校では、国旗への誓い、国歌の斉唱は毎朝の行事となっています。学校のみならず、私たちの色々な日常においても、例えばInternational Rotary Club(ロータリークラブ)のWeekly Luncheon Meetingでも、最初に行われるのはPledge of Allegiance to the Flag(星条旗への忠誠の誓い)又は国家斉唱です。
これを日本人に置き換えてみたらどうでしょうか。そんなことを始めたら、即座に至る所から(父兄も含めて) 軍国主義の復活と非難を受けるかも知れません。しかし、世界広しといえども、国旗・国歌を有しない国は一つとして存在しません。学校教育の場で、国旗・国歌を堂々と掲揚したり吹奏したりできないような国は日本のみと言っても過言ではありません。国を愛することの教育、またその象徴としての国旗・国歌を正しく崇敬できる教育が復活されることを強く願ってやみません。
(参考1):「日の丸」そのものが軍国主義の象徴と見なされ使用し難いという意見も強いようです。しかし、日の丸の起源は大化の改新(645年)以後、天皇による親政が確立されたころだと言われています。約1,400年の歴史を持つ日の丸が、第二次世界大戦を惹き起こした約10年間の軍国主義を象徴するものとして全面否定されるのは、余りにも理不尽だと思います。
一方、「君が代」は1880年に曲がつけられ、それ以降国歌となりました。そして、戦後正式な国歌として法律で制定されたのは1999年(平成11年)です。戦後55年間法的には国歌では無くただの歌だったのです。確かに「君が代」は「日の丸」に比して歴史が浅く、その内容が「君が代」は「天皇の御代」と理解され受け容れ難いと言う主張が強いようです。色々調べてみると、「君」は「天皇」を意味していないという説もあるようです。
いずれにしても、世界に国歌を持たない国は存在しませんし、私たち日本人は法律で定められた「君が代」を国歌として受け容れるしかありません。それを否定することは、今は法に反することなのです。もし、今の国旗や国歌が国民全体から否定されるなら、新しく作り直すしかありません。そうなるまでは、やはり日本の国旗も国歌も、言葉の引用が悪いのですが「悪法もまた法なり」で(念のため、私は悪法とは思っていません)、今あるものを法に従い認めるしかありません。
(参考2):アメリカの大学を出られた先輩のコメントを紹介します。
私は米国の大学で米国史、世界史を必須科目として単位をとらされました。世界史で今でも鮮明な感銘を受けたのは、第一次世界大戦のドイツのおかれた立場に対する評価です。資料を基に学生の間で議論があり、その結果、戦争のきっかけを作ったのは、米国を含む西陣営の策略が原因であるという結論でした。
担当教授が、確かにそうであったとコメントをしたのには驚きました。戦勝国であった米国の勝者の論理として、当然ドイツを悪者にすることを当り前と思っていた私の予想に反するものだったからです。このような結論を出せるのは、米国が第一次世界大戦に関し時間をかけて充分に精査し、大人の結論を出して来たからだと思います(客観性を保てるのは戦勝国の余裕とも言えますが)。
日本の歴史認識の問題は、第二次世界大戦を未だに精査することなく、未整備のまま史実を明白かつ明確にしないまま、あたかも全てが完了・完結したと自己満足しているように見えることです。従って日本は、国として敗戦を経験した経緯を客観的に精査し分析し、その内容を真摯に受け取め、二度と同じ轍を踏まないように世界に明言することが、日本の本当の再出発になると思います。
母国を愛するという言葉も、日本の国歌、国旗も、日本人全員が正しい史実を認識できるようになれば、軍国主義の象徴という烙印から解放されるのではないでしょうか。
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