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シリーズアメリカ再発見㉘
Eat Me in St. Louis !
生誕250年 セントルイスを食べる
文&写真/佐藤美玲(Text and photos by Mirei Sato)
- 2014年10月20日
食べ歩き終えて…
最初にセントルイスを訪れたのは、20年以上も前になる。
貧乏なバックパッカーでアメリカ中を回っていて、グレイハウンドのターミナルで降りたものの、ホテルに泊まるお金もない。次のバスが来るまで数時間。西部の玄関口の象徴、アーチだけは見たい、とタクシーに飛び乗った。
「本当にアーチだけ? わざわざ日本から来たなら、美味しいバーベキューの店やブルースの店に案内してあげるのに」。
運転手のおじさんは親切に申し出てくれたのだが、アメリカ研究オタクだった私は、西部開拓の栄光と矛盾が詰まったようなアーチを見上げるだけで、十分に感激した。
今回は「食べ歩き」をしながら、あの時よりはゆっくりとセントルイスを回ることができた。でも…。
「セントルイスがどんな街か、一言で表現するのは、すごく難しい。中西部なのか、南部なのか、地域的な括りもしづらいし、街や人の特徴もつかみにくい。どう思います?」
ミズーリ歴史博物館の展示研究ディレクター、ジョディ・ソーウェルさんに、そう聞いてみると…。
「そうですよね。私たちでも、セントルイスの風土や人の気質を簡単にかいつまんで説明するのは難しいですからね」と、同感してくれた。
1803年にアメリカの領土になってから、2本の川が流れ込むセントルイスは、交易や製造業の中心として栄えた。ほかの街に先駆けて近代都市計画がみ、公園や図書館、野球チームや交響楽団が誕生した。川沿いの街並は、ロンドンに勝るとも劣らないと記録された。
アメリカ初のオリンピック開催都市はセントルイスだった、と聞いて驚く人は多いだろう。オリンピックと同じ1904年には世界博覧会も開かれて、「Meet Me in St. Louis」(セントルイスで会いましょう)が、国民の合い言葉になった。
「セントルイスの人たちは、ちょっと変わったプライドと困惑とを抱えているんです。それは街が抱えている矛盾と同じです。かつてセントルイスはアメリカで4番目に大きな街でした(*現在は58番目)。オリンピック開催都市として国際的に知られ、アメリカ国内でも何かにつけて名前が挙がっていたんです。今では信じがたいでしょうけれど」とソーウェルさん。
それが第2次世界大戦後、人口の郊外流出が加速し、製造業の衰退も手伝って、一気に活力を失った。1940年に81万人いた人口は、現在31万人程度。セントルイス市が、郡(カウンティー)に属さないという態度を貫いたことも災いした、とソーウェルさんは言う。
「セントルイスらしい独立精神の表れでしたが、国政の場で影響力を失うことになり、市民のプライドはひどく傷つきました」
ソーウェルさんは今年、セントルイス生誕250年の特別展のリサーチを通じて、多くの市民の意見を聞いた。「セントルイスの文化に対する誇りを強く感じました。ネイバーフッドのつながり、多様さ、ビールに野球…。だから、この街を離れても人はいつか戻ってきます」
そういえば、映画「セックス・アンド・ザ・シティ」でも、ジェニファー・ハドソン演じるルイーズが、憧れのニューヨークで生活を始めるが、すぐにセントルイスに戻っていた。
ソーウェルさんは、「セントルイスが抱えている一番大きな問題は、貧富の差、人種間の溝なんです」とも言っていた。
ダウンタウンから続くデルマーという名の1本の道が、貧しく黒人が多く住む北部と、裕福で白人が多く住む南部とを分断していて、そのひずみはいつ噴出してもおかしくない、と。
移動の時間が迫っていた私は、それ以上詳しいことは聞けなかった。
セントルイスの北郊ファーガソンの街が燃え上がったのは、その2カ月後だった。
セントルイスの最新の観光情報はココで!
●St. Louis Convention & Visitors Commission
www.explorestlouis.com
●生誕250周年のイベントなど
STL250.org
●Missouri Division of Tourism
www.VisitMo.com
●Mississippi River Country
www.ExperienceMississippiRiver.com
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