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無駄の大資源国、日本
文/在米日本人フォーラム(Text by Japanese Forum USA)
- 2018年1月3日
日本は昔から資源が乏しい国と言われてきている。しかし、ここで実は資源はいくらでもある、と言ったら誰もが怪訝な顔をするに違いない。これは事実である。ここで言う資源とは「無駄」である。つまりこの無駄をなくすことにより時間と金を創生することができる。こう言われると反論する人は少ないだろう。
日本は昔から資源に乏しい国と言われてきている。しかし、ここで実は資源はいくらでもある、と言ったら誰もが怪訝な顔をするに違いない。これは事実である。ここで言う資源とは「無駄」である。つまりこの無駄をなくすことにより時間と金を創生することができる。こう言われると反論する人は少ないだろう。
「大学にまとわる無駄」
私が大学に行こうと決心したのは高校一年の終わりのころだ。当時の大学は狭き門だった。志望校を3校選び勉強も集中的にやった。古い話しで恐縮だが、当時は「四当五落」と言われた時代だ。(注:四当五落-大学に合格するには受験勉強のために睡眠は一日四時間まで、五時間も睡眠をとれば落ちると言われた)。最近は聞いたこともない大学の名前をよく耳にする。そして入学希望者が定員に満たないケースすらあると聞いている。大学の数は、1955年には国立、公立、私立合わせて228校だった。2014年には781校もある。特に私立がこの間に約5倍に増えている。本当にこれほど多くの大学が必要なのだろうか。下記の文科省の資料を見てほしい。定員に対する志願者の倍率の推移を見ると、昭和41年では2.63倍、平成23年には1.17倍で、年を追うごとにその率が低下の一途をたどっている。これは、今や大学が狭き門ではなくなっていることを示している。
大学希望者、定員と入学者の変遷(文部科学省資料より)(単位千人)
昭和41年 | 平成4年 | 平成11年 | 平成21年 | 平成23年 | |
1965 | 1992 | 1999 | 2009 | 2011 | |
定員 | 195 | 473 | 525 | 572 | 578 |
志願者 | 513 | 920 | 756 | 669 | 675 |
(倍率) | (2.63) | (1.95) | (1.44) | (1.17) | (1.17) |
入学者 | 293 | 542 | 590 | 609 | 613 |
ここで視点を少し変えてみよう。国民の高等教育は良いことだ。しかし、それが必ずしも大学で行うべき教育ばかりなのだろうか。私は大学とはだれもが行くところだと思わない。最も求められているのはむしろ高等学校までの教育のレベルアップではないだろうか。まず、なぜ大学に行くのか、大学で何を勉強したいのか、これらがはっきりしないまま、ただ大学に行きたいというところに問題があると思う。それでは、大学は出たけれど、「一体あなたは何ができるの」、と聞かれても回答に窮するはずだ。以前は、大学に入るのは難しいがまともに勉強しなくても卒業できると言われていた。最近は、大学によっては、ろくに勉強しなくても入学できて卒業もできてしまうという話しも聞く。もしそれが事実だとしたら、人生で最も貴重な4年間という時間を無駄にしてしまうことになる。さらには奨学金を得てまで大学に行ったとしたら大きな借金を背負うことになり、卒業後その返済に苦しむことになる。勉強もせず培われるものもないのに、ただ借金だけが残る、こんな無駄があってよいはずがない。
日米の大学の相対的比較として、日本は入るが難しく出るが易しい、アメリカは入るが易しく出るが難しいという一般的見方があった。確かに、アメリカの大学では今も大学課程も大学院課程もひたすら勉強に追われ、中間試験や期末試験もさることながら毎日毎週の宿題、テストと息つく間もない。そして、とにかく勉強しなければ卒業することが難しい。日本にもアメリカと同じように入るのも出るのも難しい大学は存在する。しかし、大学において、もし学ぶことをせず培われるものが何も無いとしたら、これこそ大学に行くことそのものが全くの無駄と言わざるを得ない。
以前から企業は新卒を採用し企業内で研修を行っていた。むしろ色のついていない卒業生を好んで採用し、入社してから社内で教育していた。しかし、ますます国際化した今日の企業を囲む環境や技術革新、特にITの急速な発達により、企業は新入社員が成長するのを待つ時間も余裕もなくなってきた。つまり、より早く戦力になってくれること、いやむしろ即戦力を期待するように変わってきている。このような社会の流れに対して大学はどのように対応しているのだろうか。ただでさえ少子化が進み人材不足が叫ばれている現実をもっと直視すべきではないだろうか。
話をもとに戻そう。まず大学に行きたいのなら大学で何を勉強したいのか、自ら強い目的意識を持つべきだ。大学を卒業した後で社会が必要としている技術や知識を身に着けたい、あるいはこういう道のプロになりたい、とかだ。目的がはっきりしていれば自ずと大学での勉強にもはりが出るものだ。そして、卒業後は「私にはこれができます」と言えるだろうし、採用する方も採用しやすい。
もう一つ言いたいことがある。大学に進学したいのであれば、それなりの準備つまり勉強をしておくべきだ。ろくに勉強もせず、したがって成績もよくないまま大学に行きたいというのは虫が良すぎる。さらに、大学側もそんな生徒でも定員を満たすために入学を認めるとしたら、これもおかしい。大学とは高等教育の場であるはずが、最も重要な教育を軽んじ利益追求だけを目的とした営利企業に過ぎない存在まで落ちることは恥ずかしいことだ。あらゆる企業、団体にVision, Mission Statement(経営理念)があるように大学にも同じことが要求される。少子化が進むなかで入学志望者を求めるならば大学側も襟を正し、それなりの競争力をつけるべきだ。それができなければ、多くの大学が「ひとえに風の前の塵に同じ」 (平家物語) となる。
(註:平家物語)
祇園精舍の鐘の声、諸行無常の響きあり。
娑羅双樹の花の色、 盛者必衰の理(ことわり)をあらはす。
奢(おご)れる人も久しからず、ただ春の夜の夢のごとし。
猛(たけ)き者もつひにはほろびぬ、ひとへに風の前の塵に同じ。
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