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- 第62回 いい女、いい男
ところが数年後、これが激変した。大学を終えた頃には体型が変わり、自信たっぷりの態度で、時には少し怖いお姉さんになっていた。あの子誰? と聞くと、娘が、お母さん、ナンシーじゃあないの、よくここに遊びに来たでしょう、憶えてないのと呆れ顔で言う。あの彼女? でも違う人みたい。私は最後の言葉を飲み込む。これほど変わるものなのか。あの輝くような美しさはどこに行ったのだろう。あの頃を憶えているからこそ、少し哀しかった。乙女の美しい時期は、こんなにも短いものなのか。
人は見た目が9割といわれる。男性は綺麗な女性に惹かれる。そうでない方もおられるだろうが、だいたいが見た目に惹かれる。これはオスの本能で、仕方がないらしい。健康で美しい自分の子孫を生んでくれる対象として、女性を選ぶのだそうだ。その理由にがっかりするが、女性だって、男性の収入の高さで選り分けている。家庭という巣に餌を運んでくる機能として男性を選んでいる。男性側からすれば、これもがっかりする理由だろう。女の子は性格のいい子、男の子は優しい子、という建前と裏の本音がのぞく。お互い様だ。そして誰もが歳をとってゆく。
女性の場合は出産を機に何かが大きく変わる。顔や体から発散する女の香りが失せて無くなる、とでも言おうか。敏感な人なら、その変化にハッと息を呑むはずだ。これが女から母に変わるということなのかと、はっきり分かる。
男性の場合は、社会に出ると変わる。現実社会は容赦なく、厳しい。学生時代とは雲泥の差で、戦いの日々となる。時には勝ち、時には負ける。負けて降参したいと思っても、餌を運んでくる自分を待っている家族の顔がちらつくと、ぐっと我慢し、何事もなかったかのような顔をして帰宅しなければならない。辛い時が重なると、顔がくすんでくる。体も神経も使い果たすから、早く歳をとる。歳月の苦労は男性にも女性にも平等に降りかかる。すべての人に平等に降りかかる。
そして50〜60歳になった時、興味深い現象が起こってくる。それまでに、何をどうやって生きてきたかが顔や体に表れる。もう、生まれながらの美醜は関係なくなっている。生い立ちも学歴も、関係ない。あるのは、社会人として過ごした何十年もの歴史が刻まれた顔と、熟成した人格だけだ。それが否応なく出る。あるいはそれしか残らなくなる。そしていい女、いい男ができてくる。
私は体と頭を同時に使ってきた働き手が好きだ。皆、良い顔をし、贅肉のない引き締まった体をしている。たとえば、ペンキ屋のデイビッド・キムさんは、とても働き者だった。朝7時にわが家に来て、すぐに仕事にかかり、昼休みに持参のサンドイッチを短時間で食べ、夜の7時に仕事道具を洗うまで、働きっぱなしだった。黙々と家の外回りのペンキを3日間で仕上げた。丁寧な仕上がりだった。あまりの働きぶりが強く印象に残った。
プラマーのジムはロイヤルフラッシュという会社名をつけて、奥さんと二人で働いていた。痩せて背の高い無口なイギリス紳士で、プラマーという汚れる仕事なのに、なぜか清潔感があった。車の助手席には必ず愛犬のトニーを乗せていた。トニーはジムの仕事が終わるまで、いつまでも待っていた。ジムは常に完璧な仕事をしてくれた。ある日電話をすると、ジムが亡くなったことを奥さんから知らされた。肺炎をこじらせて心臓発作を起こしたそうだ。トニーが部屋の隅にうずくまったまま動かないのよ、と悲しそうに言った。トニーはきっと、ジムと一緒に仕事に出かけた日々を思い出しているのに違いない。なぜかいつまでも彼らのことを憶えている。
私は自分の道を静かに着々と歩む人に惹かれる。味わいと、意志のあるいい顔をしていた。そういう人が私にはいい女であり、いい男だと映る。それなら誰でもなれそうだ。
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